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鎌倉駅

鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムは、鶴岡八幡宮の境内にある美術館・文化交流施設です。建物は、日本最古の公立近代美術館として国の重要文化財になっています。常設展示は基本的になく、企画展・特別展が行われています。また運営・管理は鶴岡八幡宮が行っています。
鎌倉のその他の史跡

無量寿院跡(無量寺跡)

無量寿院跡(無量寺跡)は、鎌倉市扇ヶ谷にあったとされる寺院跡です。鎌倉歴史文化交流館の敷地内にあったとされています。安達義景の縁の寺院と言われており、安達盛長の孫にあたることから、大河ドラマの影響で訪れる人が増えました。
鎌倉のその他の史跡

北条小町邸跡

北条小町邸跡は、鎌倉市雪ノ下のビルの中にある史跡です。ビルの地下部分に出土した遺跡が見られるように強化ガラスをはめ込み、上から見ることが出来るようになっている一風変わった場所です。鶴岡八幡宮から非常に近い場所で少し立ち寄るのおすすめです。
鎌倉のその他の史跡

紅葉山やぐら

紅葉山やぐらは、鎌倉市小町にあるやぐら(昔の墓地)です。この辺りは北条家の屋敷があったあたりであるため、北条家ゆかりの納骨が行われたやぐらだと考えられていますが、定かではありません。中はほとんど見えませんが、海蔵寺の十六ノ井と同じものがあるそうです。
鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鏑木清方記念美術館

鏑木清方記念美術館は、鎌倉市雪ノ下にある浮世絵師・日本画家の鏑木清方の旧居跡に建てられた故 鏑木清方氏の作品をメインに展示する美術館です。小町通りの近くにありますが、1本奥に入ったところにあるため騒がしさもなく落ち着いて素晴らしい美人画等を中心に鑑賞することが出来ます。
鎌倉の景観重要建築物等

日本基督教団鎌倉教会付属 ハリス記念鎌倉幼稚園 鎌倉市景観重要建築物等 指定第6号

日本基督教団鎌倉教会付属 ハリス記念鎌倉幼稚園は、鎌倉市由比ガ浜にある大正時代に建てられた幼稚園です。幼稚園自体は、明治43年(1910年)創立で、市内で最も歴史のある幼稚園として知られています。一般公開はされていませんが外観は一般道から見ることが出来ます。
鎌倉の景観重要建築物等

日本基督教団鎌倉教会会堂 鎌倉市景観重要建築物等 指定第5号

日本基督教団鎌倉教会会堂は、鎌倉市由比ガ浜にある大正時代に建てられた教会です。教会らしい建物で、このエリアのランドマーク的な存在になっています。一般公開は通常行っていませんが、主日礼拝等であれば誰でも参加できて中を見ることも出来ます。
鎌倉の景観重要建築物等

ホテル ニューカマクラ 鎌倉市景観重要建築物等 指定第27号

ホテル ニューカマクラは、鎌倉市御成町にある大正時代に建てられた現在も営業しているホテルです。ドラマや映画での撮影でも度々使われることがあり、聖地巡礼として宿泊する人もいます。宿泊予約サイトからは予約出来ない、それでも人気のホテルです。
鎌倉の国指定史跡

若宮大路

若宮大路は、鎌倉市由比ヶ浜から鶴岡八幡宮までの道であり国指定史跡です。寿永元年(1182年)に源頼朝が京都(平安京)の朱雀大路を参考にして造られた道であり、途中からの段葛と合わせて多くの人が通る道となっています。約1.8kmもの長さがあります。
鎌倉の景観重要建築物等

伊藤邸(旧望洋楼) 鎌倉市景観重要建築物等 指定第2号

伊藤邸(旧望洋楼)は、鎌倉市大町にある昭和初期に建てられた洋館風の建物です。公開はされておらず、更に一般道からはほぼ見えない位置にあるため、実際の形状はどうなっているのか全くわからない建物です。1990年(平成2年)に鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

萬葉集研究遺跡碑(万葉集研究遺跡碑)

萬葉集研究遺跡碑(万葉集研究遺跡 )は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。妙本寺の境内、祖師堂の近くに建っています。天台宗の学問僧である仙覚が万葉集研究を行った新釈迦堂があったとされる場所です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

比企能員邸阯碑

比企能員邸阯碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。妙本寺の総門の右脇に建っています。比企能員は、鎌倉殿の13人の1人でしたが、北条時政との対立により処刑され比企一族も滅ぶことになりました。
鎌倉の景観重要建築物等

笹野邸 鎌倉市景観重要建築物等 指定第20号

笹野邸は、鎌倉市佐助にある昭和初期に建てられた和風住宅です。佐助の住宅街にあり、建物自体はほぼ一般道からは見えずひっそりと建っていますが、鎌倉市の景観重要建築物等に指定されています。見学は出来ませんが、結婚式場・結婚披露宴会場として貸出されています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

松谷寺及佐介文庫阯碑

松谷寺及佐介文庫阯碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。市役所通り、御成隧道と新佐助隧道の間、新佐助隧道よりに建っています。佐介文庫は、金沢文庫と同じ頃に作られたものと想像されています。
鎌倉の国の登録有形文化財

旧川喜多家別邸(石島邸・石島家住宅)

旧川喜多家別邸は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられた洋風建築物です。2021年2月に国の登録有形文化財に登録されました。映画を通じて国際交流に尽力した川喜多長政・かしこ夫妻の別邸として長く使用されていた住宅です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

町屋址碑

町屋址碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。大町四ツ角の交差点から少し南下した小町大路沿い、逆川のすぐ近くに建っています。町屋(まちや)とは、民家の一種で町人の住む店舗併設の昔の都市型住宅のことです。
鎌倉十橋

逆川橋

逆川橋は、鎌倉市大町の小町大路から少し奥に入ったところにある小さな橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つで、出来た当時とは姿かたちは変わっていますが現存しています。
鎌倉十橋

裁許橋

裁許橋は、鎌倉市御成町の御成小学校の近くにある橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つでしたが、現在は気にして通る人もほとんどいない状況です。
鎌倉の国の登録有形文化財

鎌倉市立御成小学校旧講堂

鎌倉市立御成小学校旧講堂は、鎌倉市御成町内にある昭和初期に建てられた講堂です。小学校内にあるため、見学は通常出来ませんが、国の登録有形文化財になっており、屋根は道路沿いからも見ることが出来ます。屋根だけでも歴史ある建物ということがわかります。
鎌倉十橋

勝ノ橋

勝ノ橋は、鎌倉市扇ガ谷にある寿福寺の入口近くにかつてあった橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つでしたが、現在は石碑と敷石1枚があるだけの場所となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

問注所舊蹟碑(問注所旧跡碑)

問注所舊蹟碑(問注所旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市御成小学校前のT字路交差点の角に建っています。問注所とは、今で言えば裁判所に近いもので、鎌倉時代に設置された訴訟事務を所轄する機関のことです。
鎌倉のその他の史跡

和田塚

和田塚は、鎌倉市由比ガ浜の和田塚駅からほど近い場所にある史跡です。和田塚は、建暦3年(1213年)5月に起こった和田合戦においてほぼ滅亡した和田一族の墓とされています。鎌倉殿の13人とされる北条義時と和田義盛の戦いであり、これによって北条氏はより強固な執権体制を作ったとされています。
鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鎌倉歴史文化交流館

鎌倉歴史文化交流館は、鎌倉市扇ガ谷にある鎌倉の歴史を紹介する博物館です。発掘された出土品だけでなく、庭園もあり散策も楽しめる博物館となっており、高台からは海を望むことが出来ます。建物自体も著名な建築家が設計した個人住宅をリノベーションしたものです。
神奈川県・鎌倉市指定史跡

相馬師常墓やぐら

相馬師常墓やぐらは、鎌倉市扇ガ谷の少しわかりにくい場所、寿福寺踏切から亀ヶ谷坂切通に向かう途中の脇道の奥、少しわかりにくいところにある岩窟内にあるお墓であり、鎌倉市指定史跡です。相馬師常は、鎌倉時代の武将であり相馬氏の初代当主とされています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

相馬次郎師常之墓碑

相馬次郎師常之墓碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。寿福寺踏切から亀ヶ谷坂切通に向かう途中の脇道の奥、少しわかりにくいところに建っています。相馬師常は、鎌倉時代の武将であり相馬氏の初代当主とされています。
鎌倉十井

扇ノ井

扇ノ井は、鎌倉市扇ガ谷にある個人宅内にある井戸です。鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸である「鎌倉十井」(かまくらじっせい)の1つとなっています。個人宅内のため通常見学は出来ません。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

蓮華寺址碑(蓮華寺跡碑)

蓮華寺址碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。市役所通りを佐助方面に進み、鎌倉税務署の前、佐助保育園の脇に建っています。蓮華寺は、材木座にある光明寺の前身となったと言われるお寺で北条家ゆかりのお寺です。
鎌倉十橋

琵琶橋

琵琶橋は、鎌倉市由比ガ浜・若宮大路にある鎌倉十橋の1つとされた橋です。滑川に注ぐ支流の1つ「佐助川」にかかり、今でも橋としは存在していますが、普通の歩道に見えてしまい、ここが名所だということには気付かずに通り過ぎる人がほとんどです。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

扇谷上杉管領屋敷迹碑(扇谷上杉管領屋敷跡碑)

扇谷上杉管領屋敷迹碑(扇谷上杉管領屋敷跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市扇ガ谷の寿福寺踏切のすぐ近くに建っています。上杉氏の扇ガ谷にあった屋敷跡を伝える石碑です。
鎌倉十井

泉ノ井

泉ノ井は、鎌倉市扇ガ谷にあり浄光明寺というお寺からもう少し奥に進んだところにあります。現在は井戸としては使われておらず、名所として残っている状態です。鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸である「鎌倉十井」(かまくらじっせい)の1つとなっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

藤谷黄門遺蹟碑(藤谷黄門遺跡碑)

藤谷黄門遺蹟碑(藤谷黄門遺跡碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市扇ガ谷にある浄光明寺の参道入口に建っています。藤谷黄門とは、阿仏尼の子である冷泉 為相の別称です。
鎌倉のその他の史跡

阿仏尼の墓

阿仏尼の墓は、鎌倉市扇ガ谷にある智岸寺稲荷の横にある、やぐらとその中の供養塔のことです。やぐらの中に六重となる供養塔があり、「阿佛」と刻まれ阿仏尼の墓と伝わっています。阿仏尼は「十六夜日記」等の紀行文日記の著者として、藤原定家の側室として、冷泉為相の母として有名です。
鎌倉の国の登録有形文化財

鎌倉国宝館

鎌倉国宝館は、鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮の東側にある市立博物館・美術館です。主に鎌倉時代から室町時代を中心とする寺社に関する美術品や古文書などを保管管理しながら、常設展示も行っています。鎌倉市内の寺社の文化財を寄託を受け保管も行っており、古都鎌倉の文化を保護する役割も負っています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

夷堂橋碑

夷堂橋碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。本覚寺の山門のすぐ脇、夷堂橋の小町側に建っています。夷堂橋は鎌倉十橋の1つで、滑川の場所によって変わる名称を説明している石碑です。
鎌倉十橋

夷堂橋

夷堂橋は、鎌倉市内を流れる滑川にかかる、鎌倉市小町と鎌倉市大町をつなぐ橋です。現在の橋は昭和49年(1974年)に作られたものですが、江戸時代以前からあった橋として、鎌倉十橋の1つにも数えられています。橋の上からは滑川が見え、時折亀や鯉などを見ることも出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

太田道灌邸舊蹟碑

太田道灌邸舊蹟碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市扇ガ谷にある英勝寺の境内の中、横須賀線のすぐ前に建っています。太田道灌は、室町時代後期に関東地方で活躍した武将であり、江戸城を築城したことで有名です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

源氏山碑

源氏山碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉五山の第三位にもなっている寿福寺の入口近くにひっそりと建っているため、見逃してしまいそうな石碑です。碑に刻まれた文字は、源氏までは読めるものの山が読めないため悩むかもしれません。
鎌倉の景観重要建築物等

旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)

旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)は、江戸時代末期に創建されたと思われる建物を移築した建物です。ヨーロッパ映画を日本に紹介した川喜多長政・かしこ夫妻が、海外の映画関係者を迎える場として利用していた別邸です。一般公開は年に2回、春と秋に行われています。
鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鎌倉市川喜多映画記念館

鎌倉市川喜多映画記念館は、鎌倉市雪ノ下にある映画に関する資料館です。名画の上映会も行っており、名画座・ミニシアター的な要素も持っています。古都鎌倉らしい外観だけでなく、敷地内には鎌倉市景観重要建造物となっている旧川喜多邸別邸もあり、ちょっとした散策コースになっています。
鎌倉の景観重要建築物等

川合邸 鎌倉市景観重要建築物等 指定第10号

川合邸は、鎌倉市雪ノ下にある大正時代に建てられた洋館です。鶴岡八幡宮の南側、小町通りから出てきたところの山安鎌倉店の隣にある建物です。一般公開されておらず、外観も夏場は草木でほとんど見えないのに、景観重要建築物等という名称にしているのが不思議に思えます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

下馬碑

下馬碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉駅から由比ガ浜に向かう若宮大路の横須賀線を超えた少し先のガソリンスタンドの脇に建っています。ガソリンスタンドが目立ってしまい気付かずに通り過ぎる人も多い石碑です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

元八幡碑

元八幡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。由比若宮・元鶴岡八幡宮の境内に建っています。由緒書や看板の後ろに建っており、更に文字数が多いため非常に読みにくくなってしまっているのが残念な石碑です。
鎌倉の景観重要建築物等

旧安保小児科医院 鎌倉市景観重要建築物等 指定第16号

旧安保小児科医院は、大正時代に建てられた洋館の木造建築物です。人通りの多い御成通りにあり、鎌倉駅からも近いため、目にしたことがある人も多いと思います。以前は開放されていて見学出来ましたが、現在は公開されておらず外観のみ見ることが出来ます。
鎌倉のその他の史跡

旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所(旧横浜興信銀行)

旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所は、昭和初期に建てられた銀行建築物です。特に文化財として登録されていませんが、パッと見た時に惹きつけられる古い洋風建築物であり、いつかは文化財として登録されるのではないかと思います。元々は、今はなき鎌倉銀行の由比ガ浜出張所として作られました。
神奈川県・鎌倉市指定の文化財

畠山重保墓塔(石造宝篋印塔 明徳四年銘・由比ガ浜)

畠山重保墓塔(石造宝篋印塔 明徳四年銘)は、鎌倉市由比ガ浜にある14世紀後半に建立されたと思われる墓塔です。鶴岡八幡宮の一の鳥居の横に畠山重保邸阯碑や庚申塚とともに建っています。普通に道にある石碑ですが、鎌倉市指定有形文化財となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

畠山重保邸阯碑

畠山重保邸阯碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の一ノ鳥居のすぐ横に石造宝篋印塔(畠山重保墓塔)と一緒に建っています。畠山 重保は鎌倉時代初期の武将であり、父は畠山重忠です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

段葛碑

段葛碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の段葛にある「二の鳥居」の後ろにあるため、気づかずに通り過ぎてしまう人もいますが、現在の段葛の中ではかなり歴史が古いものの1つであり、是非足を止めて見て欲しい石碑です。
鎌倉のその他の史跡

日蓮上人辻説法跡

日蓮上人辻説法跡は、鎌倉市小町にある史跡です。 何か建物がある訳ではなく、石碑等が置かれているだけの場所ですが、鎌倉仏教を学ぶ上で訪れておきたい場所の1つと言えます。 石碑が数多くあるので、ちょっと異質に感じる場所かもしれません。 日蓮上人...
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

日蓮聖人辻説法之阯碑

日蓮聖人辻説法之阯碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。宝戒寺・本覚寺・浄妙寺といった鎌倉江の島七福神のお寺が集まる通りである、小町大路沿いにいろいろな石碑と一緒になった「日蓮上人辻説法跡」の中に建っています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

北條執權邸舊蹟碑(北条執権邸旧跡碑)

北條執權邸舊蹟碑(北条執権邸旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。宝戒寺の境内に入ったところにひっそりと建っています。鎌倉幕府の執権を握っていた北条家の最後の邸宅となった場所として石碑が建てられています。
鎌倉の景観重要建築物等

東勝寺橋 鎌倉市景観重要建築物等 指定第23号

東勝寺橋は、鎌倉市小町にある大正時代に作られたアーチ状の橋です。江戸時代から東勝寺橋という橋はあったそうですが、現在の橋は大正12年の関東大震災の翌年に建造されたものです。滑川の美しい景観を楽しめるおすすめの場所です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

靑砥藤綱舊蹟碑(青砥藤綱旧跡碑)

靑砥藤綱舊蹟碑(青砥藤綱旧跡碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。東勝寺橋の欄干のすぐ近く、Vin茶家 OMOTEというワイン茶屋の前に建っています。東勝寺橋の見学と合わせて見て欲しい石碑です。
鎌倉の景観重要建築物等

鎌倉聖ミカエル教会 鎌倉市景観重要建築物等 指定第11号

鎌倉聖ミカエル教会は、小町通りにある昭和初期に建てられた教会です。現在は増改築が行われ外観は建設当時の面影はほぼ無いものの、内部は建設当初のままで残っています。一般公開はされてないものの日曜の礼拝に参加すれば内部も見ることが出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

土佐坊昌俊邸址碑

土佐坊昌俊邸址碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。金沢街道に入るちょっと手前の小町大路の住宅の入口にひっそりと建っています。土佐坊 昌俊は、源頼朝に臣従した僧であり武将です。
鎌倉十橋

筋違橋(筋替橋)

筋違橋(筋替橋)は、横浜国立大学付属鎌倉小中学校近くにかつてあった橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つでしたが、現在は暗渠となり橋標と碑だけが残っています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

柳原碑

柳原碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の柳原神池の橋のすぐ近くに建てられています。鶴岡八幡宮へ参拝に訪れた時に柳原神池と合わせて見て欲しい石碑です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

鉄井碑(鐵井碑)

鉄井碑(鐵井碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉駅から鶴岡八幡宮の西端を結ぶ小町通りの鶴岡八幡宮側のT字路にあります。鉄の井(鉄井)は、江戸時代に泉質の良いとされた井戸が10あり、その内の1つです。
鎌倉の景観重要建築物等

野尻邸(旧大佛次郎茶亭)鎌倉市景観重要建築物等 指定第30号

野尻邸(旧大佛次郎茶亭)は、鎌倉市雪ノ下にある大正時代に建てられた和風木造住宅です。2020年8月までは「大佛茶廊」というカフェとして利用されていましたが、現在は閉鎖されており見学することは出来ず、外観のみを小路から見ることが出来るようになっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

若宮大路幕府舊蹟(若宮大路幕府旧跡)碑

若宮大路幕府舊蹟碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。若宮大路と小町大路の間の細い路地にひっそりと建てられています。若宮大路幕府は、鎌倉幕府の中心となった場所です。最初は大蔵幕府、続いて宇都宮辻幕府、最後に若宮大路幕府となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

筋替橋碑

筋替橋碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮を超えた少し先の金沢街道沿いにあります。筋替橋は、滑川に注ぐ小さな川にかかっていた橋で現在は暗渠(あんきょ・水面が見えないようになっていること)となっています。
鎌倉の国の登録有形文化財

湯浅物産館 鎌倉市景観重要建築物等 指定第25号

湯浅物産館は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられたモダンな建物です。鎌倉の中心とも言える段葛(若宮大路)沿いにあり、現在はいくつかの店舗が同居して営業を続けています。一般公開はされていないものの、普通にお客さんとしての利用なら店内も見ることが出来ます。
鎌倉の国の登録有形文化財

三河屋本店 鎌倉市景観重要建築物等 指定第22号

三河屋本店は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられた出桁造りの建物です。鎌倉の中心とも言える段葛(若宮大路)沿いにあり、創業から続く酒店として今も営業を続けています。一般公開はされていないものの、普通にお客さんとしての利用なら店内も見ることが出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

宇津宮辻幕府舊蹟(宇都宮辻幕府旧蹟)碑

宇津宮辻幕府舊蹟(宇都宮辻幕府旧蹟)碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。宇都宮稲荷神社の境内にあります。宇津宮辻幕府とは、鎌倉幕府の中心となった場所のことですが、源頼朝時代は大蔵幕府といい、その次の時代が宇都宮辻幕府と言われていました。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

畠山重忠邸址碑

畠山重忠邸址碑は、大正時代に青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の東側の鳥居から出るとすぐ前にあります。ふと気になって見てしまうかもしれませんが、ここに畠山 重忠という平安から鎌倉時代の武将の家があったとされることから設置された石碑です。