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比企能員邸阯碑

比企能員邸阯碑 鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

比企能員邸阯碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。

妙本寺の総門の右脇に建っています。

比企能員は、鎌倉殿の13人の1人でしたが、北条時政との対立により処刑され比企一族も滅ぶことになりました。

比企能員邸阯碑 詳細とアクセス方法

比企能員邸阯碑

  • 読み方:ひきよしかずていあとひ
  • 文化財区分:なし(旧跡碑)
  • 住所:〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1-13-10
  • 建立:1923年(大正12年)3月
  • TEL:-
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし

比企能員邸阯碑へのアクセス方法・行き方

  • 鎌倉駅東口から徒歩約7分(約500メートル・総門まで)

鎌倉駅から歩いていくことをおすすめします。入口には幼稚園があり、平日は子どもたちが多いので車で向かう場合は注意してください。

比企能員邸阯碑の写真と碑文と意味

比企能員邸阯碑

比企能員邸阯碑

能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ
禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ
此ノ地比企ヶ谷ノ名アルモ之二基ク
能員ノ女頼家ノ寵ヲ受ケ
若狭局ト稱シ子一幡ヲ生ム
建仁三年頼家疾ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チテ
頼家ノ弟千幡ニ授ケントス
能員之ヲ憤リ密ニ北條氏ヲ除カント謀ル
謀泄レテ卻ツテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル

管理人訳

比企能員は、源頼朝の乳母だった比企禅尼の養子であり、禅尼と共にこの場所に住んでいました。
この辺りの名前が、比企ヶ谷というのもこれに基づきます。
能員の娘は頼家の妻になり、 若狭局とよばれて、一幡という子を生みました。
建長3年(1203年)頼家が病で倒れると、母親の北条政子が関西の地頭職を分け、頼家の弟千幡(後の実朝)に授けようとしました。
このことに比企能員が怒り、 ひそかに北条氏を滅ぼそうと計画しましたが、逆に北条方に知られ、比企一族はこの地で滅ぼされました。

この時代の史実を読むと本当に簡単に人を殺めることが多いことに時代は違うけど、驚きますね。

妙本寺 総門

比企能員邸阯碑は、上記の妙本寺の総門の右側、妙本寺の解説板の後ろに建っています。

比企一族の墓は、この妙本寺の境内にあります。また比企一族に関する伝承は妙本寺の蛇苦止堂にも残っています。

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