鎌倉のその他の史跡

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玉縄首塚

玉縄首塚は、鎌倉市岡本の柏尾川沿い、大船駅から徒歩7~8分のところにある史跡です。1526年(大永6年)に安房里見氏の鎌倉攻めの際に応戦し戦死した、渡内福原氏や大船甘粕氏一族35名を供養した塚(墓)とされています。六地蔵や稲荷社、馬頭観音碑なども一緒に祀られています。
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朱垂木やぐら

朱垂木やぐらは、天園ハイキングコースの十王岩の近くから少し外れたところにあるやぐら及びやぐら群です。一般的なハイキングコースでは無いため、ほとんど人が来ない場所ですが、50ほどのやぐらがあり、鎌倉らしい景観を描いています。
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和田塚

和田塚は、鎌倉市由比ガ浜の和田塚駅からほど近い場所にある史跡です。和田塚は、建暦3年(1213年)5月に起こった和田合戦においてほぼ滅亡した和田一族の墓とされています。鎌倉殿の13人とされる北条義時と和田義盛の戦いであり、これによって北条氏はより強固な執権体制を作ったとされています。
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大江広元の墓(伝承・浄明寺・十二所の境)

大江広元の墓は、一般的には鎌倉市西御門にある法華堂の中にあるものとされますが、これは後世に作られたものであり、本当のお墓は浄明寺・十二所の境あたりの胡桃山と呼ばれる山中にあるものと伝わっています。登山道の途中にあり、訪れるのは少し大変なところにあります。
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阿仏尼の墓

阿仏尼の墓は、鎌倉市扇ガ谷にある智岸寺稲荷の横にある、やぐらとその中の供養塔のことです。やぐらの中に六重となる供養塔があり、「阿佛」と刻まれ阿仏尼の墓と伝わっています。阿仏尼は「十六夜日記」等の紀行文日記の著者として、藤原定家の側室として、冷泉為相の母として有名です。
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黄金やぐら

黄金やぐらは、鎌倉市大町でもかなり逗子市よりにある史跡です。鎌倉やその周辺には数千ものやぐらがあり、無名のものも多い中、名前がついている数少ないやぐらですが、正直なところあまり見応えが無い地味なやぐらです。しかし伝承からなぜか知名度だけは少しあります。
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旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所(旧横浜興信銀行)

旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所は、昭和初期に建てられた銀行建築物です。特に文化財として登録されていませんが、パッと見た時に惹きつけられる古い洋風建築物であり、いつかは文化財として登録されるのではないかと思います。元々は、今はなき鎌倉銀行の由比ガ浜出張所として作られました。
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日蓮上人辻説法跡

日蓮上人辻説法跡は、鎌倉市小町にある史跡です。 何か建物がある訳ではなく、石碑等が置かれているだけの場所ですが、鎌倉仏教を学ぶ上で訪れておきたい場所の1つと言えます。 石碑が数多くあるので、ちょっと異質に感じる場所かもしれません...
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北条高時腹切りやぐら

北条高時腹切りやぐらは、国指定史跡である東勝寺跡にある「やぐら」(昔の墓所・墓地)です。鎌倉市内でも有数の心霊スポットであり、冗談半分で訪れるべき場所ではありません。昼間でも薄暗く何となく怖く感じる場所です。
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護良親王墓

護良親王墓は、鎌倉市二階堂にある後醍醐天皇の第三皇子とされる鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍だった護良親王のお墓です。お墓そのものは一般開放されておらず直接見ることは出来ないようになっています。
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島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓

島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓は、鎌倉市西御門にある法華堂跡と呼ばれる国指定史跡にあります。急な階段を上った先に3人のやぐら上の墓が並んであり、不思議な光景となっており、鎌倉観光で是非とも立ち寄って欲しいスポットです。
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三浦泰村一族の墓・三浦一族のやぐら

三浦泰村一族の墓(三浦一族のやぐら)は、鎌倉市西御門にある法華堂跡と呼ばれる国指定史跡にあります。三浦泰村一族の墓(三浦一族のやぐら)自体は国県市の史跡には登録されていませんが、法華堂跡(国指定史跡)の一部として合わせて見学されることが多くなっています。
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