太平寺跡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
西御門の来迎寺の入口の脇、八雲神社の前に建っています。
太平寺は、かつては鎌倉尼五山の筆頭でしたが、16世紀に廃寺となり、その跡に石碑が建てられました。
太平寺跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:たいへいじあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門1-10-10
- 建立:1931年(昭和6年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
太平寺跡碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩約21分(約1.6km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「大学前」下車・徒歩約9分(約650メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。
太平寺跡碑の写真と碑文と意味
大平寺ハ比丘尼寺ニシテ相傳フ
頼朝池禅尼ノ舊恩二報イン為
其ノ姪女ノ所望ヲ聴キ姪女ヲシテ開山タラシメシ所ナリト
足利ノ代管領基氏ノ族喬
清渓尼ノ中興スル所トナレルガ
天文中里見氏鎌倉ヲ鹵掠セル時
住持青岳尼ヲ奪ヒテ房州二去リテヨリ遂二頽破セリ
今ノ高松寺ハ寛永中
紀州徳川家ノ家老水野氏ガ
其ノ太平寺ノ遺址ヲ改修セルモノナリ
管理人訳
太平寺は代々の尼寺だと伝わっています。
源頼朝が池禅尼の昔の恩義に報いるため、その姪の望みを聞いて姪のために建てたと言われています。
足利の時代、官領基氏の子孫である清渓尼(せいけいに)が、さらに発展させました。
しかし天文年間(1532‐1555年)の際、千葉の里見氏が鎌倉を攻め、青岳尼を房州(現在の千葉県)に連れ去ってからは、とうとう廃寺になってしまいました。
今の高松寺は、寛永年間(1624-1645年)に紀州徳川家の家老水野氏が、太平寺跡に建てたものです。
太平寺は代々の尼寺だと伝わっています。
源頼朝が池禅尼の昔の恩義に報いるため、その姪の望みを聞いて姪のために建てたと言われています。
足利の時代、官領基氏の子孫である清渓尼(せいけいに)が、さらに発展させました。
しかし天文年間(1532‐1555年)の際、千葉の里見氏が鎌倉を攻め、青岳尼を房州(現在の千葉県)に連れ去ってからは、とうとう廃寺になってしまいました。
今の高松寺は、寛永年間(1624-1645年)に紀州徳川家の家老水野氏が、太平寺跡に建てたものです。
高松寺という名前が出てきましたが、高松寺は関東大震災(1923年)で倒壊し、宮城県に移転しています。
上記の写真で太平寺跡碑が写っていますが、右側の階段は来迎寺の参道の階段です。
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