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足達盛長邸阯碑(安達盛長邸阯碑)

足達盛長邸阯碑(安達盛長邸阯碑) 鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

足達盛長邸阯碑(安達盛長邸阯碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。

甘縄神明宮の境内に入ってすぐ右側に建てられています。

一般的には安達と書きますが碑には足達と記されています。

安達盛長は、源頼朝の側近であり、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1人です。

安達盛長邸阯碑 詳細とアクセス方法

安達盛長邸阯碑

  • 読み方:あだちもりながていあとひ
  • 文化財区分:なし(旧跡碑)
  • 住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷1-11-35
  • 建立:1925年(大正14年)3月
  • TEL:-
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし

安達盛長邸阯碑へのアクセス方法・行き方

  • 江ノ電「長谷駅」から徒歩約6分(約450メートル)
  • 鎌倉駅(西口)から徒歩約20分(約1.6km)
  • 鎌倉駅から大仏前方面行きの江ノ電バス・京急バスに乗車、「長谷観音」で下車、そこから徒歩約3分(約200メートル)

江ノ電「長谷駅」から歩いていくのがおすすめです。または鎌倉駅からバスで向かうのもおすすめです。

足達盛長邸阯碑の写真と碑文と意味

足達盛長邸阯碑

足達盛長邸阯碑

盛長ハ藤九郎ト稱ス
初メ頼朝ノ蛭ガ島ニ存ルヤ
克ク力ヲ勠セテ其ノ謀ヲ資ク
石橋山ノ一戰
源家ガ運ノ骰子ハ全ク黯澹タル前途ヲ示シヌ
盛長頼朝二尾シ
扁舟濤ヲ凌イデ安房二逃レ
此處二散兵ヲ萃メテ挽回ヲ策ス
白旗鎌倉二遷リ天下ヲ風靡スルニ及ビ
其ノ舊勲ニ依テ頗ル重用セラル
子彌九郎盛景孫秋田城介義景
邸ヲ襲グ
頼朝以來将軍ノ來臨屡々アリ
此ノ地即チ其ノ邸址ナリ

管理人訳

安達盛長は、藤九郎と称します。
当初、源頼朝が伊豆の蛭が島にいた時、頼朝の計画が成功するように力をあわせて協力しました。
石橋山の戦で敗れ、源氏の運が無くなったように見えた時も、盛長は頼朝について小船で南房総に逃げ、そこで兵を再び集め作戦を練りました。
源氏の白旗が鎌倉にはためくようになると、 昔からの功績により、重要な地位に就くようになりました。
安達盛長の子の盛景、孫の義景が家を継ぎました。また頼朝やその後の将軍が度々訪れました。
この場所がその邸宅のあった場所です

安達盛長(あだちもりなが)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、源頼朝の側近の1人でした。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1人でもあります。

ただ安達盛長の実際の邸宅はここではなく、鎌倉駅西口側の御成町にあったというのが現在の有力な説になっています。

安達盛長邸阯碑

安達盛長邸阯碑がある甘縄神明宮は、鎌倉最古の神社と言われている歴史ある神社です。

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