染屋太郎大夫時忠邸址碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
由比ヶ浜駅から鎌倉文学館に行く途中にひっそりと建っています。
染屋時忠は、鎌倉幕府より前の時代、8世紀前半にいたとされる人物で、鎌倉にはいろいろな伝説が残っています。
染屋太郎大夫時忠邸址碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:そめやたろうだゆうときただていあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷2-4-6
- 建立:1939年(昭和14年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
染屋太郎大夫時忠邸址碑へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「由比ヶ浜駅」から徒歩約3分(約180メートル)
- 鎌倉駅から江ノ電バス・京急バス「藤沢・大仏方面」行きに乗車、「海岸通り」バス停下車・徒歩約2分)
道が狭いため公共交通機関で訪れるのがおすすめです。
染屋太郎大夫時忠邸址碑の写真と碑文と意味
染谷太郎時忠ハ藤原鎌足ノ玄孫ニ當リ
南都東大寺良辨僧正ノ父ニシテ
文武天皇ノ御宇(皇紀一三五七-一三六二)ヨリ聖武天皇ノ神龜年中(皇紀一三八四-一三八八)ニ至ル間
鎌倉ニ居住シ東八箇國ノ総追捕使トナリ
東夷ヲ鎮メ
一ニ由井長者ノ稱アリト傳ヘラルゝモ
其事蹟詳ナラズ
此處ノ南方ニ長者久保ノ遺名アルハ
彼ノ邸阯ト唱ヘラル
尚甘縄神明宮ノ別當甘縄院ハ時忠ノ開基ナリシト云フ
管理人訳
染屋時忠は、藤原鎌足の玄孫(孫の孫)にあたり、南都(奈良)の東大寺の良弁僧正の父です。
文武天皇の時代(皇暦1357年~1362年・西暦697年~707年)より聖武天皇の神亀年間(皇暦1384年~1388年・西暦724年~728年)の間、鎌倉に住み、関東8国の総司令官となり、東夷(関西よりも東の地域)を安定させました。
由比長者と称されますが、詳しいことはわかっていません。
ここの南の方に長者久保と言う地名があるのは、屋敷の跡であるといわれています。
また甘縄神明宮の別当寺である甘縄院は時忠が建てたものと伝えられています。
*皇暦は初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする紀年法で、西暦前660年とされています。
染屋時忠は甘縄神明宮を創建したとも、辻の薬師堂を創建したとも伝わっています。
染屋時忠の悲しい逸話は「魔の淵のお地蔵様 」の創建の理由にもなっています。
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