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魔の淵のお地蔵様

魔の淵のお地蔵様 鎌倉のお地蔵様

魔の淵のお地蔵様は、正式な名称が無いため、こう呼ばれているお地蔵様ですが、大正時代に建てられたお地蔵様だと言われています。

車に乗っていると気づかないで通り過ぎることもあるお地蔵様ですが、いろいろな言い伝えがあるお地蔵様です。

魔の淵のお地蔵様 詳細とアクセス方法

  • 読み方:まのふちのおじぞうさま
  • 建立:大正時代と言われている
  • 住所:〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂38 付近
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 売店:なし
  • 車椅子対応:なし
  • 公式サイト:なし

魔の淵のお地蔵様の場所とアクセス方法・行き方

  • 鎌倉駅(東口)から徒歩約18分(約1.4km)
  • 鎌倉駅から京急バス「鎌20・23・24・36」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約2分

鶴岡八幡宮や宝戒寺から金沢街道を通って荏柄天神社や鎌倉宮に向かう途中、車だと気づかない小さな「東御門川」という川の上に小さな「大倉耕地橋」という橋がかかっています。

この橋のすぐ隣にあるお地蔵様です。

魔の淵のお地蔵様の逸話・伝承

かまくら子ども風土記には下記のように書かれています。

お地蔵さまの左側の後ろに小さな川が流れて いますが、 昔、 ここは狭いながらも青黒い水がとうとうと流れる川で、 この川の流れにのみ込まれた人もいたそうです。 また、鎌倉の由比の長者だった染屋太郎太夫時忠の娘が鷲にさらわれたとき、このあたりにもその血のしたたりが落ちたともいわれます。 以前は、このあたり一 帯は昔から良い土地ではないので、畑にしても作り手がいなかったそうです。

杉本寺の住職の発願で、 大正時代にこのお地蔵さまがまつられ、それからはこのような話は なくなったということです。

かまくら子ども風土記 48ページより

他にも出典不明な情報では「魔物の餌食になって亡くなった人が多かった」と書かれているところもあり、そのため「魔の淵」とこの辺りが呼ばれるようになったそうです。

また染屋太郎太夫時忠の娘が鷲にさらわれた時に肉片が落ちた場所が7つあり、その場所に塔を建てて供養したそうですが、その塔を「辻ノ塔」と言ったそうです。

その1つが「魔の淵」と言われています。

染屋太郎太夫時忠は、7世紀後半から8世紀前半に人物なので、鎌倉幕府が出来るはるか以前から、鎌倉に居たとされています。

魔の淵のお地蔵様の特徴

規模の割りには大きめの鎌倉石の台があり、その上に立派な蓮華座がありふくよかな顔のお地蔵様が鎮座しています。

大正時代に建てられたと書かれている通り、それくらいに建てられた感じがするお地蔵様ですが、文字塔が刻まれているものの風化によっては読めないようになっています。

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