法華堂跡碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
法華堂跡(源頼朝の墓側)の入口にあります。
法華堂とは、源頼朝や北条義時のお墓があった場所であり、現在は法華堂跡として国指定史跡となっています。
法華堂跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ほっけどうあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2-1-14
- 建立:1924年(大正13年)3月
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
法華堂跡碑へのアクセス方法・行き方
- JR鎌倉駅から徒歩約20~22分(約1.5~1.7km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約3~5分
- 鶴岡八幡宮「馬場元(東側鳥居)」から徒歩約8~10分(約600~700メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で向かうことをおすすめします。
鎌倉駅からは少し遠いですが、鶴岡八幡宮を経由して荏柄天神社・鎌倉宮へ向かう途中にあるので、鎌倉散策なら気にならない距離です。
法華堂跡碑の写真と碑文と意味
堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル
建保五年五月和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ處ナリ寶治元年六月五日三浦康村此ニ篭リテ北条ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢盡キテ一族郎党五百餘人ト偕ニ自盡シ満庭朱殷ニ染メシ処トス
管理人訳
法華堂は元々は頼朝の持仏(守り本尊)を祀っていたところでしたが、頼朝の死後は頼朝の墓となりました。
建保5年(1217年)5月、和田義盛が反乱を起こし幕府に火を放った時、将軍であった実朝が避難したのはこの場所でした。
宝治元年(1247年)6月5日に三浦康村がここに籠もって北条軍と戦いましたが、刀が折れ矢が尽き、一族郎党500人余りが皆自害し、庭全体を赤黒く染めました。
法華堂跡碑は上記の写真の通り、法華堂跡の入口にあり、後ろは白旗神社となっています。
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