鎌倉警察署脇の路地を入っていたところにある高砂稲荷、あまり由緒らしい由緒が伝わっていない神社ですが、調べてみると面白い伝承があります。
小さな神社にまつわる鎌倉ならではと思われる伝承を紹介します。
高砂稲荷と源頼朝
高砂稲荷は源頼朝が崇敬していたと書いてある書籍もあります。
高砂稲荷は鎌倉では古い社のひとつです。 源頼朝はたいそうこのお稲荷さんを崇敬しました。浜出のときは、よくこの稲荷に参拝したと野史にみえます。
有峰書店新社 小澤彰 著 鎌倉案内 上巻 118ページ
野史とは、民間に伝わる歴史であり正しいものもあれば、都合の良いように史実を捻じ曲げているものもあるため、正確性はわかりません。そもそもその野史がどういう野史なのか出典がありません。
ただ本当に源頼朝が崇敬していたのであれば、由比若宮の南に位置する高砂稲荷は、鶴岡八幡宮の丸山稲荷同様、由比若宮を守護するお稲荷様だったのかもしれませんね。
高砂稲荷と松方正義の伝承
高砂稲荷には、面白い伝承が残っています。
むかし、この稲荷の隣地に明治の財政家、松方正義の別荘がありました。松方は、この別荘を建てたとき、隣地にこわれかかったお稲荷さんがあったので、これを修理して毎年初午祭をとり行いました。
ところが、大正十二年の九月一日の関東大震災のとき、この大きな別荘はマグネチュード七・八 という大地震のため、第一震であえなく倒壊、松方は、アッーという間もなく太い棟木の下敷となりました。書生たちは、あれよあれよと右往左往して棟木をあげようとしたが、棟木は重くてびくとも動きません。主人を助けるには棟木を切るよりほかはないのです。そのとき、一人の白い髪を生やしたのこぎり 老人が現われて鋸を貸してくれました。やがて家人は松方を助け出し、その老人にお礼を言おうとしましたが、すでに、その老人の姿は見えません。松方は家人からこの話をきき、これは高砂稲荷のご加護にちがいないといって、戸板の上から 身を起こして胸に手をあわせたといいます。
有峰書店新社 小澤彰 著 鎌倉案内 上巻 118ページ
松方正義は、第4代・第6代の内閣総理大臣を務めた人物です。また日本銀行を創設した人物でもあります。
大正12年は西暦1923年のことです。この時年齢は88歳でしたが、大正時代でもこの年齢だと神のご加護があったと思うということを考えると、まだまだいろいろな迷信や言い伝えが強かった時代なんだな~と思いませんか?
高砂稲荷と西島麦南
高砂稲荷にはこんな伝承も残っています。
高砂稲荷は、むかしから境内の木を切ると必ず たたりがあるといって、樹木の手入れをする人もありませんでした。戦後は特に大荒れでさえ住来から見えないくらいでした。 近くの人はたたりを恐れて手も付けぬというありさまです。その雑木や草も伸びほうだい、荒れほうだいの稲荷の雑草を取り枝を切って、すがすがしくしたのが、隣地に終戦とともに越してきた岩波書店の元老西島麦南でした。
有峰書店新社 小澤彰 著 鎌倉案内 上巻 118・119ページ
西島麦南(本名 西島九州男・にしじま くすお)は、俳人であり校正者で、のちに「校正の神様」と言われたほどの人物です。
源頼朝が崇敬したほどの神社が荒れ放題になるというのは、時代の流れというのは残酷なようにも思われます。
以上、高砂稲荷の由緒・歴史と伝承についてでした。
- 住所:〒248-0014 神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-12-15
- TEL:-
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所受付時間:社務所なし
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