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岡本の神明神社と岡本神社の関係の推察

岡本神社 狛犬様 神社訪問・参拝レポート

大船駅の西口から少し奥に入った辺りに神明神社岡本神社があります。

この2社は直線距離で200メートルほど離れているのですが、どうも元は同じ神社だったのではないか?と思ったので、その推察を書いておきます。

あくまでも管理人の考えであり史実には則ってないので、ご了承下さい。

神明神社の由緒と岡本神社の別称

神明神社(鎌倉市岡本)

神明神社

神明神社を書籍で調べると下記のように書かれています。

地元では「神明さま」「お伊勢さま」として親しまれている。

鎌倉の神社 小事典 92ページより

土地の人には「神明さま」「お伊勢さま」と呼ばれて信仰されている岡本地区の氏神様です。

かまくら子ども風土記 230ページより

ともに「お伊勢さま」として信仰されていたと書かれています。神明神社全国にあり「天照皇大神」を主祭神とする神社で、全国的に「お伊勢さん」と呼ばれることがあります。

岡本神社の道の由来

ただ200メートルしか離れていないところにかつては「お伊勢山神明神社」と呼ばれた神社がありました。それが岡本神社です。

岡本神社

岡本神社

岡本神社は、1500年前半まであった神社で、その後解体され、平成になってから再建された神社です。

こちらも元々は神明神社でした。

200メートルしか離れていないところに同じ神社を建てるのか?という疑問が湧いてきます。

室町時代から江戸時代にかけては信仰深いため、神社を解体されてしまった村人からすれば、同じ神社を建てようと思うのが普通だったと考えられます。

そこで、同じ神社を期間を少し明けて、再興したとしても不思議ではありません。

岡本神社に思いがある方が岡本神社を再建したことで同じエリアにほぼ同じ神社が出来てしまったのが今の状態なのでは?と思ってしまいます。

岡本神社から神明神社

今でこそ、岡本神社の住所は鎌倉市玉縄、神明神社は鎌倉市岡本ですが、岡本神社という名称から岡本神社の辺りも岡本村だったことがわかります。

神明神社の由緒がはっきりしないのは、村人が勝手に再興したため、記録に残ってなかったとすれば、納得出来ます。

岡本神社の由緒・歴史

平安時代、今から約一〇〇〇年前 天慶一年(西暦九三八年頃) 村岡城主、平良文の一門であった、角田家は、約三万坪の所領を、 提供し、岡本神社、(別称)お伊勢山神明神社を建立しました。
その後、室町時代に入り、今から、約五〇〇年前 永正九年(西 暦一五一二年頃)、この地に侵攻して来た、玉縄城主らによって、岡本神社は、解体されました。
解体される前の元の岡本神社(奥社)のあった場所は、この場所より約三〇〇メートル上方の山頂にありました。
この神社は、当時、岡本村の鎮守様でありました。 同時に、角田家も、岡本(玉縄) 地域等で、約二十万坪の所領を、玉縄城主らに、奪われました。当時、角田家は、三浦一族
に属しておりました。
この度、約五〇〇年ぶりに、岡本神社、(別称)お伊勢山神 明神社の下社)が、復元し、完成しました。 下社復元にあたり、佐藤慶春氏に御尽力していただきました

旧勢力が新勢力にとって変わったものの、信仰までは奪えなかったと考えると、胸アツになりませんか?

以上、岡本の神明神社と岡本神社の関係の推察についてでした。

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