神社に行くと社号標(石碑)に村社・郷社・官幣中社等と刻まれ、その下に神社名が刻まれていることがあります。
また神社を参拝していると、あの神社よりもこっちの神社の方が格式が高い、という話を聞いたことがあるかもしれません。
これは明治時代に定められた近代社格制度(旧社格制度)というもので、まだ日本の政治が祭政分離(宗教と政治が一元化していること)されていない頃に国が神社の格式を定めていたものの名残です。
名残ですが、今でも旧社格制度で神社の格式を語ることは多くなっています。
なおあくまでも社格とは国家による待遇の差を表したもので、神社そのものの崇敬の厚さを表したものではありませんが、旧社格制度と鎌倉の神社の旧社格制度で見る格式の高さを紹介します。
近代社格制度(旧社格制度)における神社の区分
社格という言葉は、平安時代からあるもので、宗教と政治は一体のものでした。
国と宗教が一体だったことで神社においても格式が重要視されており、社格制度というものが生まれていました。
平安時代以前の古代社格制度、平安時代から江戸時代までの中世社格制度、明治以降の近代社格制度と遷移してきており、一般的に社格と言えば近代社格制度(旧社格制度)のことを指すのが一般的です。
近代社格制度は明治から昭和21年(1946年)まで使用されていました。
この時の社格制度の序列を表すと下記の通りです。
官社があり、その下に諸社があり、諸社に含まれない無願神祠がありました。
ただし官幣各社が国幣各社よりも必ず格上という訳ではなく、下記のようになっています。
官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社
もっとも官幣中社と国幣大社はどちらが上かなどの明確な規定はありません。
鎌倉市の神社では、鶴岡八幡宮は「国幣中社」となっていますが、鶴岡八幡宮よりも知名度では落ちる鎌倉宮は「官幣中社」となっており、鶴岡八幡宮よりも近代社格制度においては、格式が上になっています。
また官社は神祇官(国家機関=今でいう国家公務員に近い)が祭ることになっており、諸社は地方官=今でいう地方公務員に近い)が祭ることになっていました。
無格社は格が無い神社ということになり厳密には社格制度からは除外すべきですが、神社であることは認められていた(認定されていた)神社となります。
認定されていないと無願神祠(無願神社)となります。
無願神祠(無願神社)は一時期、解体するように命令が国から発せされ、いくつかの神社が解体に追い込まれました。この時、東北や北海道等、本州の中心(主に東京)から離れれば離れているほど解体には至りませんでした。
旧社格制度が廃止されてから出来た神社になると、そもそも社格は関係なくなるので、格という概念がなくなります。
中世社格制度の名残の一宮
近代社格制度の前、中世社格制度の名残も現在に残っています。
一番残っているのが一宮です。
明治初期まで藩(令制国)が残っていました。藩単位で国と言い、その国で一番有力な神社を一宮と行っていました。
鎌倉は相模という国で、相模の一宮は神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する寒川神社です。
なお鶴岡八幡宮も相模国の一宮として扱われることはありますが、歴史的には寒川神社が相模国の一宮です。なお寒川神社の近代社格制度上は国幣中社であり、鶴岡八幡宮と同列となっています。
鎌倉および周辺の神社の近代社格制度別 神社
近代社格制度(旧社格制度)で鎌倉およびその周辺の神社を表すと下記の通りとなります。
官幣中社
国幣中社
県社
江島神社(藤沢市)・児玉神社(藤沢市)・平塚八幡宮(平塚市)
郷社
宇都母知神社(藤沢市)・海南神社(三浦市)・叶神社(横須賀市)・前鳥神社(平塚市)・鶴嶺八幡宮(茅ヶ崎市)・
村社
荏柄天神社・十二所神社・八雲神社・御霊神社(雪ノ下)・小動神社・甘縄神明神社 ・熊野神社(大船)
社格に関係なく好きな神社に参拝に行こう!
現在の神社に社格は関係ありませんが、神社本庁が定める別表神社や、各都道府県神社庁によって独自に定める制度上の呼称がありますが、そもそも神様を祀る神社に人間が格式を定めるのがおかしなことです。
鎌倉で有名な銭洗弁財天宇賀福神社は社格がありませんが、非常に人気で雰囲気の良い神社です。
社格制度を気にすることなく、自分で気に入った神社へ参拝に行くようにしてください。
鎌倉の代表的な神社