鎌倉市今泉にある白山神社、社殿に向かって右後方に立派な石塔が見えます。
宝篋印塔か五輪塔か、その類のものかと思うことも多いですが、石塔には「醍醐塔」を刻まれており、他では見ない作りになっています。
この醍醐塔について、私見を交えて考察してみました。
白山神社の醍醐塔について
2025年1月9日現在、インターネットで「白山神社 醍醐塔」と検索しても全く詳しい情報は出てきません。
醍醐塔とは
醍醐塔とは、鎌倉市今泉にある白山神社にある高さ2メートルほどの石塔です。隣には小さな石祠も置かれています。中央に「醍醐塔」と刻まれていることから「醍醐塔(たいごとう)」と呼ばれています。
宝篋印塔や五輪塔のような墓塔とは異なり、当時の村人の名前が刻まれていることから記念的に作られた石塔と思われます。
醍醐自体は仏教用語で、一般的には五味の1つで喜ばしいことを意味するので、墓塔とは異なると考えられます。
醍醐塔がいつ何のために作られたのかの考察
醍醐塔については全く資料が見つけられませんが、いくつか推測出来ることはあります。
梵字からの考察による作られた時期と作られた理由
醍醐塔には梵字が刻まれています。普通に考えると毘沙門天を祀っている神社なので、毘沙門天の梵字かと思いきや、毘沙門天の梵字とは異なります。
この梵字は「タラーク」と呼ばれる「虚空蔵菩薩」を表す梵字と思われます。毘沙門天は「ベイ」と呼ばれる梵字で表されるのが一般的です。
タラーク
ベイ
白山神社には今泉寺というお寺もありますが、御本尊は「如意輪観音」もしくは「出山釈迦」だったと伝わっているため、虚空蔵菩薩は関係ありません。
ただこの「タラーク」、虚空蔵菩薩以外にも意味があります。丑年・寅年を意味する梵字にもなっています。
ただ寅年に関しては思い当たることがあります。
白山神社の「大注連祭」で出させるのぼり旗には「文政十三年庚寅正月吉辰」と記されています。
つまりこの梵字は「大注連祭」を行い始めた年の干支を描いたものではないか?という推測が出てきます。
文政13年がいつかと言えば、1830年です。
「文政十三年庚寅正月吉辰」がいつかと言えば当時は旧暦もしくは節月(立春を1年の始まりとした暦)で考えられていたと思われるので、下記のいずれかだと思います。
- 1830年1月26日(旧暦1830年1月2日)
- 1830年2月7日(旧暦1830年1月14日・立春はこの年2月5日)
- 1830年2月19日(旧暦1830年1月26日)
正月は1月のことを意味しているので今でいう三賀日・松の内のこととは限りません。
つまり、大注連祭が開始されるようになった年に記念としてのぼり旗と石塔、石祠を作り、奉納したと考えると自然だと思いませんか?
醍醐塔そのものは、あまり古く見えないので100~300年くらい前に作られたものかな?と思っています。
醍醐塔に刻まれている名前のすり減り具合からも300年以上は経過していないように見えませんか?
醍醐塔を見に行こう
宝篋印塔とも五輪塔とも違う作りの醍醐塔、鎌倉市内でもおそらくここでしか見られないと思います。
ただ春から秋にかけては雑草等が生い茂り、近寄りがたくなっているので、雑草等が枯れ虫もほとんど出ない冬場に訪れるのがおすすめです。
地面にある削られた石の跡も歴史を感じさせてくれます。
手間に広がる切岸に近い状態になった岩も不思議な感じを受ける場所です。
是非、白山神社の醍醐塔を見に行ってくださいね。
以上、白山神社(今泉)の醍醐塔に関する考察でした。
- 住所:〒247-0052 神奈川県鎌倉市今泉3-13-20
- TEL:0467-47-4798(五社稲荷神社)
- 御朱印:あり(五社稲荷神社にて)
- 参拝可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 社務所受付時間:社務所なし
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