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初夏の大蔵稲荷へ参拝に行ってきた

大蔵稲荷 神社訪問・参拝レポート

6月初旬、観光客はほぼ来ない、山の中に鎮座する大蔵稲荷へ参拝に行ってきました。

由緒や御祭神がどうなっているかよくわからない神社ですが、紫陽花を見ながら参拝出来る神社となっていました。

写真を多めに参拝の様子をお伝えします。

大蔵稲荷の場所とアクセス方法・行き方

Google Mapで大蔵稲荷の場所を確認すると、道が無くどこから行けば良いのか悩む場所にあります。

鎌倉駅からバスで来た場合、「岐れ道」というバス停で降りますが、バス停を降りたら来た方角(右側)を見ると「鎌倉ハンバーグ」という看板が見えるので、鎌倉ハンバーグの横の道に入って進むだけです。

鎌倉ハンバーグ

このお店の横にある道を進みます。

大蔵稲荷への道

「この先行き止まり」の看板があり、道も狭くなってきますが進んでください。

大蔵稲荷橋

進んでいくと「大倉稲荷橋」という橋がかかっているので、その先の左側を見ると朱塗りの鳥居が見えます。この鳥居が大倉稲荷の一の鳥居(第1鳥居)です。

大蔵稲荷 一の鳥居

ここを道なり(っぽくなっている方向)に進んで行けば大倉稲荷にたどり着けます。

大倉稲荷の境内の様子と鳥居

大倉稲荷 一の鳥居の手前

一の鳥居をくぐって境内へ。

大倉稲荷

6月なら参道に紫陽花が咲いています。

大倉稲荷にある庚申塚

少し進むと左側に庚申塔が並ぶ庚申塚があります。鎌倉エリアは昔、庚申講が盛んだったようで、各地に庚申塚が見られます。

大倉稲荷 二の鳥居

庚申塚を超えて先に進むと二の鳥居が見えてきます。ここまではアスファルトで覆われた坂道ですが、この先は石の階段と土の登山道のような道になっていきます。

大倉稲荷の階段の参道

ここから勾配がきつくなってきます。

大倉稲荷参道

ぐるっと道が円形に曲がっています。

大倉稲荷 参道

そして道の先を見ると鳥居と社殿らしき建物が見えてきました!

大倉稲荷 参道からの景色

もう少しで社殿というところで山とは反対側を見てみると雪ノ下の街並みが見えました。

大倉稲荷

そして大倉稲荷の社殿と三の鳥居(第3鳥居)が見えてきました!

10年くらい前に訪れた人のブログ等を見ると写真を撮っている辺りに以前はもう1つ鳥居があり、今ある三の鳥居は四の鳥居でした。

老朽化して崩れたか取り壊して無くなったものと思われます。

大倉稲荷

そしてついに到着!鳥居の前で軽く会釈をして、拝殿の前で二拝二拍手一拝をしてお参りです。

大倉稲荷

社殿の前には石灯籠が1つだけありました。

大蔵稲荷 社号額

社号額は左から右への横書きで「大倉稲荷」と書かれており、比較的新しそうに見えるので、比較的最近、新調されたものと思われます。

ただ正確にはこの建物が社殿ではなく、社殿を囲うものです。

大倉稲荷 社殿

隙間から覗き込むと中に小さな社殿があり、お稲荷様が鎮座していました。

大倉稲荷

また賽銭箱もあるのですが、蜘蛛の巣と蜘蛛の巣へのホコリのつもり方を見ると、それほど頻繁にはメンテナス・掃除はされていないように思います。

大倉稲荷のお稲荷様

大倉稲荷のお稲荷様

中に鎮座している左側のお稲荷様にはおそらくカマドウマという虫が何匹がついていて、お稲荷様がまるで「虫気持ち悪い、とってくれ~!」というような表情でこちらを見ているようでした。

夏場はどうしても虫が増えるので、虫が苦手な人だとちょっと厳しい場所かもしれません。

大倉稲荷裏のやぐらと小祠

大倉稲荷

参拝を終えて戻ろうかな?とも思ったのですが、鎌倉の神社やお寺の場合、社殿等の建物の後ろに何かあることがよくあるので、裏に回ってみることに。

大倉稲荷のやぐら

予想通り!裏にやぐら(穴を開けて作った墓地等)がありました。

大倉稲荷のやぐら

やぐらの中には石で出来た小さな小祠がありました。

大倉稲荷のやぐら前の小祠

またやぐらの左側の前にも小祠が置かれており、小さな陶器製のお稲荷様が入っていました。

昔はこのやぐらの中に小祠を置いて祀っていたのかもしれませんね。

大倉稲荷

参拝を終え、来た道を戻っていきます。

大蔵稲荷の紫陽花

大蔵稲荷の紫陽花

大蔵稲荷の紫陽花

大蔵稲荷の紫陽花

帰りはゆっくりと紫陽花を見ながら戻ってきました。人の手があまり入っていないので、紫陽花の名所のように紫陽花が一面に咲いている訳ではありませんが、それなりに紫陽花が咲いていて、楽しめるようになっていました。

大蔵稲荷 参道

庚申塚が見えてきたら、一の鳥居はすぐそこ。

ちょっと大変な参拝でしたが、秋の紅葉、春の桜もキレイなようなのでまた参拝に行きたいと思います。

大蔵稲荷は大倉稲荷なのか?

大蔵稲荷

大蔵稲荷は、吾妻鏡(鎌倉時代に編纂された歴史書)に出てくる「大倉稲荷」だという説もあります。

吾妻鏡には下記のように記載されています。

一日壬戌夜半大倉稲荷邊、聊物怱彼社壇、此
間連々有會合之輩今夜々行衆、怪之、欲搦取之故

全く意味がわかりませんが、現代語にかなり適当に訳すと「夜中に大倉稲荷で集まりがあった。これを夜回り番が見つけ捕まえようとしたが捕まえられなかった」ということになります。

鎌倉幕府を倒そうとしている人が集まり密談をしていたという内容のようで、三浦一族のことではないか?というのが通説のようです。

ただ大倉稲荷は、どの稲荷社だったのかは判明していないというのが一般的な解釈です。

もし大蔵稲荷が大倉稲荷なら800年近い歴史を持つ神社となります。

また面白い解釈をする方もいます。

大蔵稲荷は、源頼朝の墓所の南に位置するため、何かしら関係していたのでは?というものです。

参考:新説 吾妻鏡 大倉稲荷はここだ!鎌倉 大蔵稲荷

実際にGoogle Mapで見てみると確かに源頼朝の墓の真南に大蔵稲荷はあります。

いろいろと想像して考えてみると面白いですね。

以上、初夏の大蔵稲荷へ参拝に行ってきた参拝レポートでした。

  • 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下4-4
  • TEL:-
  • 御朱印:なし
  • 参拝可能時間:24時間(夜は非常に危険)
  • 社務所受付時間:社務所なし
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