浄妙寺の奥にある鎌足稲荷神社へ、6月の後半・まだ初夏と言える季節に参拝に行ってきました。
とても静かな神社で、まさに森の中に鎮座している神社でした。
初夏の鎌足稲荷神社の様子と、鎌足神社に関する伝承を紹介します。
鎌足稲荷神社の伝承・鎌倉の地名の由来の1つ
鎌足稲荷神社には面白い伝承が残っています。
石段を上ると鎌足稲荷社がありますが、ここには次のような話が伝わっています。
646年(大化2年)に藤原鎌足が、願い事があって常陸国(茨城県) の鹿島神宮に参詣することになりました。その途中、相模の国 (神奈川県のあたり) 由比の里に泊まったところ、 夢にひとりの白髪のおじいさんが現われ、
「わしは、おまえに影のようにつき添って守ってやる。今、わしはおまえに不思議な力のある物を授ける。これをこの地に埋めたならば、 天下がよく治まるであろう。」
と言いました。 夢からさめると、枕元に鎌槍という「鎌」が置いてありました。そこで鎌足は、身を清め、東に行ってその「鎌」を埋めようと すると、一匹の白狐が現われ、浄妙寺の裏山に 案内しました。そこに「鎌」を埋め、 お堂の「倉」を建て、7日間こもり、お神楽をあげました。 するとお神楽を舞った男に、
「今、この土地に不思議な物が埋められた。これから鎌倉の郡は、 五穀が実って、人民達が安楽になり、 天下がよく治まるであろう。」
と神のお告げがありました。鎌足は神殿に上っ てつつしんで拝み、ありがたさに涙をこぼして去り、都に帰ってそのことを天皇に申しあげました。天皇はこれを聞き、この神社の領地をくだされ、
「以後、鎌倉の郡と唱えよ。」
と言われました。
鎌倉の名はこの話がもとだとも伝えられています。「鎌」を埋めたのは大倉の松が岡だと一般にいわれていますが、このそばにも 鎌理地と呼ばれるところがあります。かまくら子ども風土記 62ページより
日本史で習ったことがある人も多い「大化の改新」を行った藤原鎌足(中臣鎌足)が創祀したと書かれています。
由比の里は現在の由比ガ浜のことです。
そしてこの伝承が「鎌倉」という地名の由来にもなっているという説があります。
鎌倉という地名は8世紀(西暦700年代)前半には既に古事記等に登場しているものの、鎌倉という地名になぜなったのか、絶対的な理由は今でもわかっていません。
いろいろな説がある中で、この神社の由緒に因んだ説もあるということです。
鎌倉にはいろいろな伝承が数多くありますが、わかりやすく書かれている「かまくら子ども風土記」は大人にもおすすめです。
Amazon等では最新版は販売されておらず鎌倉市内の特定の書店や市役所・図書館のみで販売されています。
鎌足稲荷神社への行き方・アクセス方法
Google Mapで鎌足稲荷神社の場所を確認すると浄妙寺のすぐ横にあるので、浄妙寺の境内から行けるのかな?と思うかもしれませんね。
浄妙寺の境内からはいけません。
上記の写真は浄妙寺の入口となる山門ですが、右側に道が続いています。この右側の道を道なりに進んでいきます。
途中、浄妙寺の本堂が見えます。
まっすぐに進むと駐車スペースのような場所に行き着き、道が無くなりますが右側を見てください。
階段があるので、階段を上っていきます。
階段を上り終えた辺りで左側を見るとやや傷んだ階段と奥に鳥居が見えます。
この鳥居が鎌足稲荷神社の鳥居です。階段を上っていくと鎌足稲荷神社です。
初夏の鎌足稲荷神社
初夏の鎌足稲荷神社は、まさに森の中に佇む神社でした。
新緑の緑に囲われて、少し異世界感がある不思議な空間になっています。
鳥居の奥はまさに異世界。鳥居は元々神域と普通の世界をつなぐモノですから、鳥居の先は異世界で間違いは無いとも言えますが。
参道は綺麗に掃除されているものの、その脇には苔が映えています。
苔は6月くらいが一番綺麗だと言われています。
社殿の奥はロープが張られ、立ち入らないようにされています。
でも奥にはやぐらが見えます。
「やぐら」は鎌倉周辺によくある岩を削って作った穴で墓地として使われていました。
五輪塔が中にはあり、誰かのお墓だったのかもしれません。
ここで夏なら肝試しとかしそうですけど、夜は本当に階段とか危険なので、立ち入らないようにしましょうね。
以上、初夏の鎌足稲荷神社へ参拝レポートでした。
- 住所:〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺3-9-3
- TEL:0467-22-2818(浄妙寺)
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 社務所受付時間:社務所なし
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