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第六天社

第六天社 鎌倉の神社一覧

第六天社は、鎌倉市山ノ内に鎮座する神社です。

近くの建長寺の四方鎮守の1つとして創建されたと言われています。

通常は公開されていませんが、年に2日間・数時間のみ一般公開されており、かなりレアな神社と言えます。

なお例祭は神職の方が行うのではなく建長寺の方が行います。

第六天社 詳細とアクセス方法

  • 読み方:だいろくてんしゃ
  • 旧社格:-
  • 所属:不明(建長寺?)
  • 住所:〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内1523
  • TEL:-
  • 御朱印:なし
  • 参拝可能時間:なし(年2日間の3時間程度)
  • 社務所受付時間:社務所なし
  • 拝観時間:なし(年2日間の3時間程度)
  • 拝観料:なし(志納)
  • 例祭日:7月15日~7月22日
  • どんど焼き・古神札焼納祭:なし
  • 駐車場:なし
  • 駐輪場:バイク・なし/自転車・なし
  • 公式サイト:なし
  • 創建:不明(1674年以前)

第六天社へのアクセス方法・行き方

  • 北鎌倉駅から徒歩約12分(約900m)
  • 鎌倉駅(東口)から徒歩約22分(約1.7km)
  • 鎌倉駅から江ノ電バス「A21・N2・K4」系統に乗車、「建長寺」バス停下車・徒歩1分

駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。

建長寺と合わせて参拝する場合、建長寺の駐車場(有料)に駐車するの良いかもしれません(ただし満車になっていることもあり)。

第六天社の御祭神

  • 天神七代の第六天神

一般的に第六天は、淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神(おもだるのかみ・あやかしこねのかみ)の男神・女神の2柱を指します。

ただし「かまくら子ども風土記」によると「国之常立命(くにのとこたちのみこと)」としていますが、国之常立命は天神七代の第一天神です。

第六天社の由緒・歴史

第六天社の由緒・歴史

建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、第六天は上町に鎮座する。
延宝二年(1674)の徳川光圀『鎌倉日記』に「円覚寺ヲ出テ南行シテ、第六天ノ森ヲ見ル」とあり、また、延宝六年(1678)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には「四方鎮守第六天」と記されている。
社殿に納められた建長寺第二一八世真浄元苗筆の天宝二年(1831)の棟札によって、宝永四年(1707)に建立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。
社殿の形式は一間社流造で、幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。
社殿内には第六天像が中心に祀られ、前列には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。
いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫技は丁寧で量感に満ちた佳品である。
第六天は仏教では他化自在と称し、魔王の如き力を持つといわれ、神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。
神奈川県内には第六天を祀る社が一八○社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。
現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、建長寺史研究上の重要な資料であるばかりでなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。
また、第六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年七月十五日から二十二日にかけて行われる。

  • 延宝2年(1674)以前に創建されている
  • 宝永4年(1707):社殿が再建される
  • 平成18年(2006):5月21日に第六天像と自国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が盗難にあう

建長寺の創建が 建長5年(1253年)なので、早くても1253年ということになります。

第六天社のご利益

  • 厄除け祈願

第六天社の境内末社

なし

第六天社の厄祓い・厄年について

行っていない

第六天社のどんど焼き・古神札焼納祭

行っていない

第六天社の拝観について

7月15日から7月22日の間の例祭期間の1日の午前中3時間程度のみと、元旦の午前中3時間程度の2日間・6時間程度が拝観出来る期間となっています。

*2020年・2021年は中止になっています。

第六天社の御朱印

御朱印はなし

第六天社の訪問・参拝・お祭りレポート

拝観出来た時に執筆予定

第六天社の関連リンク

第六天社のフォトギャラリー

*パソコンであればクリックで拡大

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