大船方面からJR横須賀線に乗って鎌倉駅方面に来ると、電車の中から岩壁に張り付いているかのように見える神社があります。それが智岸寺稲荷です。
ただこの智岸寺稲荷、間違った名称でインターネット上では紹介されていることが多く「隠里稲荷・隠里稲荷神社」とされてしまっています。
隠里稲荷は、佐助稲荷神社のこと
智岸寺稲荷に訪れると上記の説明板があります。
この説明板を見て、この神社を「隠里稲荷」「隠里稲荷神社」と勘違いしている人が非常に多いようです。
読みやすいようにこの説明板の文章に句読点をつけて転載します。
お稲荷様
世にお稲荷様と申上げている稲荷神社は倉稲魂神をお祭りしたもので今から約千三百年の昔 和銅四年の二月の初午の日に京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。
この神は稲がなるイナリの別名が示すように五穀の生育やすべての産業を育生する広大な御神徳のある神ですからあらゆる人々の信仰をうけ全国各地の神社や邸内に祭られています。鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が小島にいたとき病の床につき三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見 ました その老人の言うとおりに薬を飲みますと病はなおりこれが縁で幕府を開くことが出来ということです。この白ひげ老人が穏里稲荷の化身であったということです
お稲荷様は大切にお祭りしましよう
英勝寺
まず前半の文章は稲荷神社全体の説明であることは多くの人は理解出来ると思います。
一部のサイトは前半の文章で、なぜか智岸寺稲荷が和銅4年2月に創建されたと書いてありましたが。伏見稲荷大社と同じ時に創建されていたら、神社界隈で大騒ぎですよ。
問題は「鎌倉で由緒ある稲荷…」で始まる後半の部分です。
この文章も鎌倉にある有名な稲荷神社のことを説明しているだけですが、なぜか智岸寺稲荷のことと勘違いして、智岸寺稲荷のことを隠里稲荷だという人が出てきました。
まず「鎌倉風土記」という書物が存在するのかどうかわかりませんが、現時点で管理人は「鎌倉風土記」という書物の存在を確認出来ません。
ただしおそらくこの「鎌倉風土記」は「かまくら子ども風土記」のことです。同じような話が実際に「かまくら子ども風土記」に掲載されていますから。
では「かまくら子ども風土記」でこの話が登場するのはどの神社の紹介文かと言えば「佐助稲荷神社」です。
隠里稲荷では無いことを英勝寺に確認に行ってきた
ここで個人が何を書いても個人の意見でしょ?と言われてしまえば、完全な否定は出来ないのですが、これを書く前に現在の智岸寺稲荷を管理している英勝寺に訪問して実際に聞いてきました。
英勝寺入口から智岸寺稲荷までは徒歩1分ほどの距離です。
英勝寺で受付にいた方に「ちょっとお聞きしたいのですが…」と質問させてもらったところ、すごく丁寧に対応していただけました。
こちらが質問した内容は2つです。
- 智岸寺稲荷であって、隠里稲荷では無いですよね?
- 隠里稲荷は、佐助稲荷神社ですよね?
ともにその通りであり、社名は「智岸寺稲荷」であり、隠里稲荷では無いとのこと。隠里稲荷はあくまでも佐助稲荷神社の伝承であり、智岸寺稲荷の伝承では無いということを回答いただきました。
ただ「あの説明板だと勘違いして、隠里稲荷と思う人はいるかもしれませんね」とおっしゃっていました。
以上、智岸寺稲荷は、隠里稲荷神社という間違った名称で紹介されているというお話でした。
- 住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-19
- TEL:-
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所受付時間:社務所なし
鎌倉の代表的な神社