梅雨も明けた7月上旬の夏、巽神社へ参拝に行ってきました。
鎌倉駅から寿福寺経由で鶴岡八幡宮を目指そうかな?というコースの途中にある神社ですが、どんな雰囲気なのか、どんな伝承があるのか、見どころは何か写真を添えてお伝えします。
巽神社の場所と行き方
鎌倉駅西口を出てるとまっすぐに道が伸びています。まっすぐ進むと鎌倉市役所がありますが、その手前の交差点を右に曲がると「今小路」と呼ばれる通りに出ます。
今小路をまっすぐに進んでいくと、上記写真のように右側に木々が映えるところがあります。
町にある小さな公園のような雰囲気の場所が、巽神社です。
鎌倉駅西口を出て5~6分くらいで到着します。
巽神社の境内の様子と見どころ
巽神社の境内は正方形に近い形で社殿と境内社があり、石灯籠や石碑などが片隅にポツンとあります。
鳥居はそれほど大きくは無いですが、石で出来たものです。
鳥居をくぐり境内に入ると左側に由緒書がありますが、変色して読みにくくなっています。
由緒書の後ろにある手水鉢、雨水が溜まっていますが、江戸時代のものらしいです。
社殿の前の左右に柵で囲われた石灯籠があります。これが巽神社の1つ目の見どころです。
柵で囲われた石灯籠なんて珍しいな~と思ったのですが、子どもが上ったりして危ないからかな?と思ったのですが、どうも人の手にあまり触れさせないためにしているようです。
というのもこの石灯籠、元は鶴岡八幡宮のものらしいです。
神社の前には、鶴岡八幡宮にあった石灯籠もあります。
かまくら子ども風土記 108ページより
境内には江戸時代の銘が刻まれた手洗石や石灯籠などがある。
鎌倉の神社 小事典 36ページより
江戸時代の鶴岡八幡宮の石灯籠として大切にしているように思います。
巽神社の社殿
巽神社の見どころの2つ目が社殿です。
巽神社の社殿は江戸時代のものということですが、最初に見て欲しいのが軒下です。
中央に龍神が彫られて、左右に唐獅子が彫られています。
狛犬様はいないものの、唐獅子様が刻まれているので、きちんと拝んでくださいね。
また横を見ると鳥(鳳凰?)が刻まれています。
屋根を見ると不思議な形をした鐙瓦があります。波を象ったものだと思うのですが、鎌倉でもあまり見かけないものです。
鬼瓦に刻まれた紋は一般的に「十六菊紋」と呼ばれるもので一般的には天皇および皇室を表す紋章ですが武家でも一部使われていたそうです。
横から見た社殿です。本殿と分離していない御堂のような造りになっています。
本殿の前で二拝二拍手一拝して参拝しました。
境内社の諏訪神社
境内の東南方向の片隅にもう1つお社があります。境内社の諏訪神社です。巽神社の見どころの3つ目です。
なぜ諏訪神社が境内社としてあるのかは不明です。
一部の書籍などでは境内社として「諏訪社」としていますが扁額には「諏訪神社」と記されています。
ひょっとしたら巽神社の管理元神社(兼務)が横須賀市若松町の諏訪神社なので何か関係しているのかもしれません。
猿田彦大神碑
境内にポツンと建っている石碑「猿田彦大神」と記されています。
なにか特別な意味があって建っているのか、それとも庚申塔の1つとして建っているのか不明です。
夏はとても暑い巽神社
巽神社は木々が多い訳ではなく、むしろ木々が少ないため夏場は木陰となるところが少なくとても暑い神社です。
長居出来る神社では無いのが残念なところです。
神仏習合の神社だった巽神社と伝承
巽神社は、巽荒神とも呼ばれていますが、これは神仏習合時代の名残だと思われます。
巽神社の「巽」は「辰巳」と同じ意味で南東を示す方角の意味です。近くの寿福寺にあった時期もあり、寿福寺から見て南東の方角にあるため「巽神社」となったとされていますが、その前は巽荒神と呼ばれていたそうです。
荒神は、日本の仏教における尊像・三宝荒神のことです。
恐らく明治期になり、神仏分離となって、荒神は名乗れ無くなり、神道の竈三柱神である奥津日子神 ( おきつひこのかみ )・奥津日女神 ( おきつひめのかみ )・火産霊神 ( ほむすびのかみ )を祀ることになったように思われます。
三柱(神様は3人というように「にん」とは数えず、柱と数えます)は、火の神・釜戸の神であり、火難除けとして祀っている家も少なくありません。
なお鎌倉で古くからある神社は、ほとんどが神仏習合を経て、神社かお寺か、どちらの存続にするかで神社を選んだものとなっています。
鶴岡八幡宮も、元は鶴岡八幡宮寺というお寺でしたから。
巽神社と関係する伝承・望夫石
巽神社を紹介している書籍だとよく「望夫石」の話が出てきます。
巽荒神の北西の奥の山を観音山といい、このあたりにあった興禅寺の観音堂に観音さまがまつられていたといわれています。
また、「石切山」ともいわれる観音山の頂上には、「望夫石」と呼ばれた直径5mぐらいの岩が、南の由比ヶ浜の方に向かって突き出ていました。
大地震でくずれ落ち、今では登ることができませんが、 以前は鎌倉を見渡す眺めのよいところで茶店もあったそうです。
昔、 畠山重忠の子重保が由比ヶ浜で戦ったとき、重 保の妻がこの山からはるかに由比ヶ浜を望みな がら、夫の戦死をみて嘆き悲しんで亡くなり、 石になったといわれています。 そのためこの石を「望夫石」と呼ぶようになったとのことです。
かまくら子ども風土記 108ページより
直接は巽神社と関係無いのですが、なぜか紹介されていることが多くなっています。
Google Mapで観音山を調べても出てきませんが、概ね巽神社の近くにある「結の蔵」という蔵の後ろにある山がそうだったと言われています。
上記写真の蔵の右側に山のようなものが見えますが、その山がそうだったとのことです。
北西というよりはほぼ西ですね。
以上、夏の巽神社への参拝レポートでした。
- 住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-9-7
- TEL:046-822-0208(横須賀市 諏訪神社)
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:24時間
- 社務所受付時間:社務所なし
鎌倉の代表的な神社