仏法寺跡は、鎌倉市極楽寺・坂ノ下にまたがる場所にある国指定史跡です。
仏法寺は13世紀後半に極楽寺を開山した忍性によって建てられたとされる寺院です。17世紀中頃には廃寺となっていたと考えられています。
現在、仏法寺跡への道は整備されておらず行くのが非常に困難な史跡です。
ただし、仏法寺跡からの眺めは素晴らしく、その光景を見ようと訪れる人はいます。
仏法寺跡 詳細とアクセス方法
- 読み方:ぶっぽうじあと
- 文化財区分:国指定史跡
- 管理団体:鎌倉市
- 住所:〒248-0021 神奈川県鎌倉市坂ノ下30 付近
- TEL:0467-61-3857(鎌倉市教育文化財部文化財課)
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:なし
仏法寺跡へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「極楽寺駅」から徒歩約20~30分
登山経験が無い方にはおすすめ出来ません。尾根にそって歩いていきますが、ところどころ危険な場所もあります。
また夏場は草木が茂っているため道がわからず、たどり着くのが非常に困難なため、もし行くのであれば、年明け1月から3月前半の草木が枯れている頃がおすすめです。
なお行きはどうにかたどり着けると思いますが、帰りは尾根沿いに歩こうとすると行き止まり・崖にあたるかもしれません。帰りは道に迷いやすいので注意してください。
仏法寺跡の歴史・由緒
山頂から南東の斜面に下りると、「仏法寺跡」 とみられる平場があります。 この寺は極楽寺の支院の一つで、 極楽寺の絵図や縁起で霊山崎の頂上に記されています。 発掘調査の結果、建物の跡が見つかり、忍性が雨乞いを祈願したという伝説のある池からは写経の木片「柿経」が大量に出土しました。 この周辺は国史跡に指定されています。
仏法寺は霊山寺ともいわれたようで、鎌倉方の守りが固いこの霊山寺は、新田義貞の鎌倉攻めの重要な拠点だったと思われ、ここを占領したことで鎌倉に攻め入ることが可能になったともみられています。
かまくら子ども風土記 162ページより
仏法寺は忍性が建てたと言われており、13世紀後半の創建とされています。
17世紀には廃寺となったと考えられています。
20世紀初頭(大正時代)には公園として整備されたそうですが、関東大震災で被害を受けた後、しばらく放置され荒れ果てていきました。
2002年(平成14年)に大規模な発掘調査が行われ、遺跡が発掘されました。それを受け2006年(平成18年)に国指定史跡に指定されました。
簡単に時系列を表すと下記のようになります。
- 13世紀後半:忍性により創建される
- 17世紀:廃寺となる
- 20世紀初頭(1912年~1923年):公園として整備される
- 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により大規模な被害を受け、放置される
- 2002年:大規模は発掘調査が行われる
- 2006年:国指定史跡となる
2006年以降は、たまに調査が入っているようですが、ほぼ放置されており、かなり荒れ果てています。
仏法寺跡の車椅子・障害者対応
普通の人でも行くのが困難な場所のため、車椅子では向かうことは出来ません。
仏法寺跡 訪問レポート
仏法寺跡へ訪れた時のレポートや仏法寺跡に関する詳細です。
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