聖福寺阯碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
七里ヶ浜の住宅街の最奥、正福寺公園の東側の入口に建っています。
聖福寺は、鎌倉幕府5代執権・北条時頼が創建したと伝わるお寺ですが、いつ廃寺となったのか詳しいことはわかっていません。
聖福寺阯碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:しょうふくじあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0024 神奈川県鎌倉市稲村ガ崎5-39-6
- 建立:1934年(昭和9年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
聖福寺阯碑へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「稲村ヶ崎駅」から徒歩約15分(約1kmメートル)
- 江ノ電「七里ヶ浜駅」から江ノ電バス「C1・七里ヶ浜循環」に乗車、「奥稲村」バス停下車、徒歩約5分(約350メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。
聖福寺阯碑の写真と碑文と意味
聖福寺ハ建長六年(紀元一九一四年)四月
関東ノ長久並ニ北條時頼ノ息時輔(幼名聖寿丸)時宗(幼名福寿丸)ノ息災延命ノ為建立セシモノニシテ
其ノ寺号ハ両息ノ名字ニ因ミシモノト伝ヘラルルモ
廃寺ノ年代詳ナラズ
此谷ヲ聖福寺谷ト呼ブ
管理人訳
聖福寺は建長6年(皇紀1914年・西暦1254年)4月に、鎌倉幕府の長い繁栄と北条時頼の2人の息子、時輔(幼名・聖寿丸)と時宗(幼名・福寿丸)の元気で長生きすることを願い建立されたものです。
寺の名前は、2人の息子の名前をとったものと伝えられていますが、この寺が廃寺となったのか時期はわかっていません。
この谷戸を聖福寺谷と呼んでいます。
聖福寺に関しては明確な資料が残っていないため、どれほどの規模の寺院だったのかは不明ですが、同じ年代に山を1つ挟んで極楽寺が建立されています。
また聖福寺阯碑の近くに熊野権現社という神社がありますが、聖福寺の境内社だったのでは?と考える人もいます。
公園の入口の片隅にひっそりと碑が建っています。
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