長楽寺跡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市長谷にある鎌倉文学館の受付の近くにひっそりと建っています。
長楽寺は、嘉禄元年(1225年)に源頼朝の菩提を弔うために北条政子によって建立された寺院であり、現在の安養院の元となったお寺と言われています。
長楽寺跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ちょうらくじあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷1-5
- 建立:1931年(昭和6年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
長楽寺跡碑へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「由比ヶ浜駅」から徒歩約7分(約500メートル)
- 江ノ電「長谷駅」から徒歩約9分(約700メートル)
- 鎌倉駅から徒歩約20分(約1.5km)
- 鎌倉駅から江ノ電バス・京急バス「藤沢・大仏方面」行きに乗車、「海岸通り」バス停下車・徒歩約3分)
駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。
なおGoogle Map上だと入口がわかりにくいですが下記の図を参考にしてください。
鎌倉文学館の受付の手前にあります。
長楽寺跡碑の写真と碑文と意味
嘉禄元年三月
二位ノ禅尼政子
頼朝追福ノ為
笹目谷邊ニ於テ方八町ノ地ヲ卜シ
七堂伽藍ヲ営ミテ長楽寺ト號ス
元弘三年五月
北條執権滅亡ノ際兵燹ニ罹リテ焼失セリト
此ノ地即チ其ノ遺址ニシテ
今ニ小字ヲ長楽寺ト呼ベリ
管理人訳
嘉禄元年(1225年)3月、北条政子が源頼朝の供養のため笹目谷の辺りに8町(900メートル弱)四方の土地を選び、七堂伽藍を建て、長楽寺と名付けました。
元弘3年(1333年)5月、方丈執権の鎌倉幕府の滅亡の際、戦火で焼失しました。
この場所がその跡で、現在でも長楽寺という字(地名)が残っています。
諸説あり、確定的な証拠は残っていませんが、長楽寺は安養院となったと言われています。
コメント