辨谷碑(弁谷碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
材木座の中でも観光客が通ることがほぼ無い場所に建っています。
辨谷は、元々はこの辺りの地名であり、北条高時が創建した金剛山崇寿寺があったとされています。
辨谷碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:べんがやつひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座6-9-23
- 建立:1932年(昭和9年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
辨谷碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から京急バス「鎌12・鎌40」系統に乗車、「九品寺」下車・徒歩約5分(約400メートル)
- 鎌倉駅東口から京急バス「鎌40・鎌41」に乗車、「材木座」バス停下車。徒歩約5分(約400メートル)
- 鎌倉駅東口から京急バス「鎌40・鎌41」に乗車、「光明寺」バス停下車。徒歩約5分(約400メートル)
- 鎌倉駅東口から徒歩約25分(約1.9km)
- 江ノ電「和田塚駅」から徒歩約20分(約1.5km)
バスで訪れるのがおすすめです。
辨谷碑の写真と碑文と意味
元享元年相模守北條高時ノ創建セシ金剛山崇壽寺ハコノ地域ニ在リシナリ
道興准后ノ廻國雑記ニ記セシ紅谷ト
田代系図ニ拠リ千葉介ノ敷地トスル別谷トハ
共ニ辨谷ニ同ジトスル説アルモ詳ナラズ
管理人訳
元亨元年(1321年)に相模守の北条高時が建てた金剛山崇寿寺は、この場所にありました。
道興准后の「廻国雑記」に書かれている紅谷と、田代系図に書かれている千葉介の敷地である別谷は、 共に同じ弁谷であるという説がありますが、詳しいことはわかっていません。
北条高時は、鎌倉幕府第14代執権でした。
以前はこの弁谷碑の先に「弁ヶ谷東やぐら群」というものがあり、大きなやぐらということもあり、見に来る人もいましたが、崩落防止工事が行われ「弁ヶ谷東やぐら群」が実質的に無くなったため、この辺りを通る観光客もいなくなりました。
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