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材木座

神奈川県・鎌倉市指定史跡

内藤家墓地

内藤家墓地は、鎌倉市材木座にある鎌倉市指定史跡です。光明寺の境内にあり光明寺が管理しています。内藤家は、藤原秀郷の末裔と伝わる磐城平藩主・日向延岡藩主だった江戸時代の大名です。3メートルを超える宝篋印塔が並び、まるで日本では無いような光景です。
鎌倉の国の登録有形文化財

材木座公会堂

材木座公会堂は、鎌倉市材木座にある大正時代に建てられた木造建築物です。2020年8月に国の登録有形文化財に登録されました。元々、地元や別荘地の住民の寄付により建てられた集会所兼防災施設であり、現在も地元の公民館・集会所として使われています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

辨谷碑(弁谷碑)

辨谷碑(弁谷碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座の中でも観光客が通ることがほぼ無い場所に建っています。辨谷は、元々はこの辺りの地名であり、北条高時が創建した金剛山崇寿寺があったとされています。
鎌倉十井

六角ノ井

六角ノ井は、逗子市小坪に限りなく近い鎌倉市材木座にある古井戸です。現在は井戸としては使われておらず、名所として残っている状態です。鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸である「鎌倉十井」(かまくらじっせい)の1つとなっています。
鎌倉の国指定史跡

和賀江島

和賀江島は、鎌倉市材木座にある国指定史跡です。鎌倉時代の1232年に築かれた防波堤・人工島であり、現存する日本最古の築港遺跡となっており、跡が干潮時には見えます。またこの辺りからの景色は非常に綺麗で晴れて澄んだ日には江ノ島から富士山まで見渡すことが出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

和賀江島碑

和賀江島碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座海岸の東端、海中の岩の上に建つ石碑ですが、干潮時には歩いて石碑の前まで行くことが出来ます。和賀江島は現存する築港遺跡としては日本最古となっています。
鎌倉十橋

乱橋(亂橋・濫橋)

乱橋(亂橋・濫橋)は、鎌倉市材木座にある橋です。今でも実在していることには実在しているのですが、側溝とも言える川の上に普通にアスファルトが敷かれ、橋には到底見えない状況になっています。鎌倉十橋の1つになっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

乱橋碑(亂橋碑)

乱橋碑(亂橋碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座を通る小町大路、五所神社近くに建っています。昔の鎌倉を代表する鎌倉十橋の1つ「乱橋」の説明が刻まれています。乱橋そのものは橋標が残る程度です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

元八幡碑

元八幡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。由比若宮・元鶴岡八幡宮の境内に建っています。由緒書や看板の後ろに建っており、更に文字数が多いため非常に読みにくくなってしまっているのが残念な石碑です。