島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓は、鎌倉市西御門にある法華堂跡と呼ばれる国指定史跡にあります。
急な階段を上った先に3人のやぐら上の墓が並んであり、不思議な光景となっており、鎌倉観光で是非とも立ち寄って欲しいスポットです。
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓 詳細とアクセス方法
- 読み方:しまずただひさのはか・おおえのひろもとのはか・もうりすえみつのはか
- 文化財区分:なし
- 管理団体:鎌倉市
- 住所:〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2-5
- TEL:0467-61-3857(鎌倉市文化財課)
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:なし
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓へのアクセス方法・行き方
- JR鎌倉駅から徒歩約22分(約1.6km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約5分
- 鶴岡八幡宮「馬場元(東側鳥居)」から徒歩約10分(約700メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で向かうことをおすすめします。
鎌倉駅からは少し遠いですが、鶴岡八幡宮を経由して荏柄天神社・鎌倉宮へ向かう途中にあるので、鎌倉散策なら気にならない距離です。
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓の配置
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓は、3つ並んでいるため、誰のお墓がわかりにくくなっています。
現地に行くと2つ階段があり、階段は「毛利季光・大江広元」の墓側と「島津忠久」の墓側の2つに分かれているのですが、図で表すと下記のようになります。
階段は2つあり、途中で行き来出来るようになっています。塀も低いため乗り越えることは可能です。
ただ墓所で塀を乗り越えることについては、個人によるものと思います。
<2022年3月追記>
現在は誰のお墓かわかるようになっています。
2022年から始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせて取り付けられました。
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓の歴史・由緒
毛利 季光は、鎌倉時代前期の武士です。鎌倉幕府の御家人でした。そして大江広元の四男です。
島津 忠久は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将です。鎌倉幕府の御家人でした。島津氏の祖とされています。出自・生年については諸説ありますが、源頼朝の庶子とされています。
毛利季光は、宝治合戦にて三浦一族とともに自害したとされています。
毛利季光の墓は、1921年(大正10年)に鶴岡八幡宮西側の鶯ヶ谷の山にあったものが移されたといわれています。
大江広元の墓は、1823年(文政6年)、長州藩によって建てられたものです。
島津忠久の墓は、1779年(安永8年)、島津重豪が源頼朝の墓とともに整備したとされます。
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓の車椅子・障害者対応
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓は、車椅子・障害者対応にはなっていません。
急な階段もしくは荒れた階段を上ることが必要なため、車椅子では向かうことが出来ません。
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