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稚児塚(稚児墓・稚児の墓)

稚児塚(稚児墓・稚児の墓) 鎌倉のその他の史跡

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)は、六国見山山頂より約100メートルほど北側にある崩れた宝篋印塔であり史跡です。

由比の長者「染谷時忠」の子の墓という説が伝わっていることが多いですが、いつ作られたものかは不明です。

六国見山のハイキングに訪れた人が時折お参りしていきます。

現地の案内には「稚児の墓」と書かれていますが、かまくら子ども風土記や鎌倉市公園協会などでは「稚児塚」と説明していることもあり、正式名は不明です。

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)詳細とアクセス方法

  • 読み方:ちごづか(ちごはか ちごのはか)
  • 文化財区分:なし
  • 管理団体:不明(鎌倉市?)
  • 住所:〒247-0054 神奈川県鎌倉市高野36
  • TEL:-
  • 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 売店:なし
  • 車椅子対応:なし
  • 公式サイト:なし

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)へのアクセス方法・行き方

  • 大船駅から江ノ電バス「N7」系統に乗車、「高野台」バス停下車、徒歩約12分

六国見山森林公園内にあり、登山道(ハイキングコース)を通らないとたどり着けません。

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)の歴史・由緒

染屋時忠の子の墓と紹介されることがありますが、染屋時忠は甘縄神明宮を創建したとも、辻の薬師堂を創建したとも伝わる人物です。

染屋時忠は飛鳥時代から奈良時代(700年代前半)に実在した人物と言われています。

染屋時忠については下記史跡等のページをご覧ください。

稚児塚は、染屋時忠の子を弔うために、鎌倉でも1、2を争う六国見山に葬ったお墓とされています。

ただし、もともとは宝篋印塔として作られていることから、飛鳥時代から奈良時代に日本で宝篋印塔が作られている可能性は非常に低いです。

実際には後世で作られたものか、全く別の理由で作られたものと思われます。

日本において、宝篋印塔は主に鎌倉時代以降に作られています。

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)の車椅子・障害者対応

登山道(ハイキングコース)上にあるため、車椅子で行くことは出来ません。

稚児塚(稚児墓・稚児の墓) 訪問レポート

六国見山ハイキングコース(鎌倉の山・公園とハイキング by鎌倉PRESS)で訪問した時の様子は紹介しています。

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)の関連リンク

稚児塚(稚児墓・稚児の墓)のフォトギャラリー

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