藤谷黄門遺蹟碑(藤谷黄門遺跡碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市扇ガ谷にある浄光明寺の参道入口に建っています。
藤谷黄門とは、阿仏尼の子である冷泉 為相の別称です。
藤谷黄門遺蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ふじがやつこうもんいせきひ・ふじたにこうもんいせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-13-10
- 建立:1929年(昭和4年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
読み方については、藤ヶ谷(ふじがやつ)の「ケ」が省略されての「ふじがやつ」という読み方であるとするものと、「ふじたにこうもん」と呼ばれていたという説があり、どちらが正式な読み方かは、議論があります。
藤谷黄門遺蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩訳12分(約1km)
- 北鎌倉駅から徒歩約25分(約1.8km)
鎌倉駅からが近いですが、亀ヶ谷坂切通を通って観光を兼ねるのであれば、北鎌倉駅から向かうのもおすすめです。
藤谷黄門遺蹟碑の写真と碑文と意味
冷泉為相卿ハ為家ノ子ナリ
従二位中納言トナル
和歌所ノ事ニ由リ兄為氏ト争論ノ末
ソノ母阿佛尼ト共ニ鎌倉ニ来リ幕府二訴フ
遂二藤谷ニ寓シ藤谷殿ト稱セラル
藤谷百首ト呼ビ世ニ傳誦セラルゝ
和歌ハ此地ニテ詠出セラレシ者ナリ
網引地蔵ハ其ノ建立二係ルト云フ
卿ノ墓ハ其ノ後山ノ頂ニ在リ
五輪塔ニシテ月巖寺殿玄國昌久ノ八字ヲ刻セシト謂フモ
今ハ漫滅シテ字體ヲ辨ゼズ
管理人訳
冷泉為相は、為家の子供です。
和歌所(兵庫県の土地)の権利で、兄の為氏と係争がおきた結果、母の阿仏尼と共に鎌倉に来て、幕府に訴えました。
そして、藤ケ谷に住んだので、 藤谷殿と呼ばれました。
藤谷百首と言う世によく知られた和歌集は、この場所で詠まれたものです。
網引地蔵を建てるのに、関係していると言われています。
冷泉為相の墓は、この後の山頂にあります。
五輪塔で、「月巌寺殿玄国昌久」の八文字が刻まれていますが、 今は磨り減って読むことが出来ません。
阿仏尼の墓もこの近くにあります。
藤谷黄門遺蹟碑の前には浄光明寺の石塔が置かれています。
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