土佐坊昌俊邸址碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
金沢街道に入るちょっと手前の小町大路の住宅の入口にひっそりと建っています。
土佐坊 昌俊は、源頼朝に臣従した僧であり武将です。
土佐坊昌俊邸址碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:とさのぼう しょうしゅん ていあと ひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-14-23
- 建立:1925年(大正14年)3月
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
土佐坊昌俊邸址碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約10分(約800メートル)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「大学前」下車・徒歩約3分
- 鶴岡八幡宮(三の鳥居)から徒歩約4分(約300メートル)
鶴岡八幡宮や宝戒寺に参拝に行った帰りにでも立ち寄るのがおすすめです。
土佐坊昌俊邸址碑の写真と碑文と意味
堀河館ニ義経ヲ夜襲シ利アラズシテ死セシ者是土佐坊昌俊ナリ
東鑑文治元年十月ノ條ニ此ノ追討ノ事人々多ク以テ辞退ノ気アルノ処昌俊進ンデ領状申スノ間殊ニ御感ヲ蒙ル
己ニ進発ノ期ニ及ンデ御前ニ参リ老母竝ニ嬰児等下野ノ國ニ有リ憐愍ヲ加ヘシメ給フベキノ由之ヲ申ス云々トアリ
其ノ一度去ツテ又還ラザル悲壮ノ覺悟ヲ以テ門出ナシケン此ノ壮士ガ邸ハ即チ此ノ地ニ在リタルナリ
管理人訳
堀川の館にいる源義経を夜襲しましたが、逆に殺されてしまったのが土佐坊昌俊です。
吾妻鑑の文治元年10月(1185年)の項目には、次のように書かれています。
義経を討伐する者を募っているとき、多くの者は辞退しようしとしていましたが、 土佐昌俊が進んで引き受けると言い、頼朝は非常に喜びました。
出陣の際、頼朝の午前に出て「自分には年老いた母や幼い子供たちがおり、下野(群馬)の国に残して行きますので、 何かあれば面倒を見て欲しいと申しあげた」などと書かれています。
一度行けば、帰ってくるのは難しい悲壮な覚悟で出発しました。この土佐坊昌俊の邸宅がこの場所にありました。
土佐坊昌俊の出陣についてはいろいろな説がありますが、義経には土佐坊昌俊が来ることが伝わっていたという解釈が多いようです。
土佐坊昌俊邸址碑は上記写真の左側に写っていますが、道に突然建っています。なおGoogle Map等には「土佐坊昌俊邸跡」と掲載されていることがありますが、跡地というだけで何も残っていません。
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