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雪ノ下

鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム

鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムは、鶴岡八幡宮の境内にある美術館・文化交流施設です。建物は、日本最古の公立近代美術館として国の重要文化財になっています。常設展示は基本的になく、企画展・特別展が行われています。また運営・管理は鶴岡八幡宮が行っています。
鎌倉のその他の史跡

北条小町邸跡

北条小町邸跡は、鎌倉市雪ノ下のビルの中にある史跡です。ビルの地下部分に出土した遺跡が見られるように強化ガラスをはめ込み、上から見ることが出来るようになっている一風変わった場所です。鶴岡八幡宮から非常に近い場所で少し立ち寄るのおすすめです。
鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鏑木清方記念美術館

鏑木清方記念美術館は、鎌倉市雪ノ下にある浮世絵師・日本画家の鏑木清方の旧居跡に建てられた故 鏑木清方氏の作品をメインに展示する美術館です。小町通りの近くにありますが、1本奥に入ったところにあるため騒がしさもなく落ち着いて素晴らしい美人画等を中心に鑑賞することが出来ます。
鎌倉の国指定史跡

若宮大路

若宮大路は、鎌倉市由比ヶ浜から鶴岡八幡宮までの道であり国指定史跡です。寿永元年(1182年)に源頼朝が京都(平安京)の朱雀大路を参考にして造られた道であり、途中からの段葛と合わせて多くの人が通る道となっています。約1.8kmもの長さがあります。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

勝長寿院旧蹟碑(勝長壽院舊蹟碑)

勝長壽院舊蹟碑(勝長寿院旧蹟碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市雪ノ下にありますが、地元の人しか通らないような場所にあります。勝長寿院は、源頼朝が建立した寺院であり、鎌倉時代には鎌倉の三大寺社の1つとされていました。
鎌倉の国の登録有形文化財

旧川喜多家別邸(石島邸・石島家住宅)

旧川喜多家別邸は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられた洋風建築物です。2021年2月に国の登録有形文化財に登録されました。映画を通じて国際交流に尽力した川喜多長政・かしこ夫妻の別邸として長く使用されていた住宅です。
鎌倉の国の登録有形文化財

鎌倉国宝館

鎌倉国宝館は、鎌倉市雪ノ下・鶴岡八幡宮の東側にある市立博物館・美術館です。主に鎌倉時代から室町時代を中心とする寺社に関する美術品や古文書などを保管管理しながら、常設展示も行っています。鎌倉市内の寺社の文化財を寄託を受け保管も行っており、古都鎌倉の文化を保護する役割も負っています。
鎌倉の景観重要建築物等

旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)

旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)は、江戸時代末期に創建されたと思われる建物を移築した建物です。ヨーロッパ映画を日本に紹介した川喜多長政・かしこ夫妻が、海外の映画関係者を迎える場として利用していた別邸です。一般公開は年に2回、春と秋に行われています。
鎌倉市の美術館・博物館・資料館

鎌倉市川喜多映画記念館

鎌倉市川喜多映画記念館は、鎌倉市雪ノ下にある映画に関する資料館です。名画の上映会も行っており、名画座・ミニシアター的な要素も持っています。古都鎌倉らしい外観だけでなく、敷地内には鎌倉市景観重要建造物となっている旧川喜多邸別邸もあり、ちょっとした散策コースになっています。
鎌倉の景観重要建築物等

川合邸 鎌倉市景観重要建築物等 指定第10号

川合邸は、鎌倉市雪ノ下にある大正時代に建てられた洋館です。鶴岡八幡宮の南側、小町通りから出てきたところの山安鎌倉店の隣にある建物です。一般公開されておらず、外観も夏場は草木でほとんど見えないのに、景観重要建築物等という名称にしているのが不思議に思えます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

二十五坊舊蹟碑(二十五坊旧蹟碑)

二十五坊舊蹟碑(二十五坊旧蹟碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮から北鎌倉方面へと向かう途中にある鶴岡文庫近くに建っています。鶴岡八幡宮に関連する施設があった場所を示す石碑です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

今宮碑

今宮碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の今宮の境内に建っています。今宮は鶴岡八幡宮の末社で、承久の乱で破れた後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇 の三天皇が祀られています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。金沢街道から少し奥に入った滑川の「大御堂橋」の近くに建っています。文覚上人とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

土佐坊昌俊邸址碑

土佐坊昌俊邸址碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。金沢街道に入るちょっと手前の小町大路の住宅の入口にひっそりと建っています。土佐坊 昌俊は、源頼朝に臣従した僧であり武将です。
鎌倉十橋

筋違橋(筋替橋)

筋違橋(筋替橋)は、横浜国立大学付属鎌倉小中学校近くにかつてあった橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つでしたが、現在は暗渠となり橋標と碑だけが残っています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

柳原碑

柳原碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の柳原神池の橋のすぐ近くに建てられています。鶴岡八幡宮へ参拝に訪れた時に柳原神池と合わせて見て欲しい石碑です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

鉄井碑(鐵井碑)

鉄井碑(鐵井碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉駅から鶴岡八幡宮の西端を結ぶ小町通りの鶴岡八幡宮側のT字路にあります。鉄の井(鉄井)は、江戸時代に泉質の良いとされた井戸が10あり、その内の1つです。
鎌倉の景観重要建築物等

野尻邸(旧大佛次郎茶亭)鎌倉市景観重要建築物等 指定第30号

野尻邸(旧大佛次郎茶亭)は、鎌倉市雪ノ下にある大正時代に建てられた和風木造住宅です。2020年8月までは「大佛茶廊」というカフェとして利用されていましたが、現在は閉鎖されており見学することは出来ず、外観のみを小路から見ることが出来るようになっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

若宮大路幕府舊蹟(若宮大路幕府旧跡)碑

若宮大路幕府舊蹟碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。若宮大路と小町大路の間の細い路地にひっそりと建てられています。若宮大路幕府は、鎌倉幕府の中心となった場所です。最初は大蔵幕府、続いて宇都宮辻幕府、最後に若宮大路幕府となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

筋替橋碑

筋替橋碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮を超えた少し先の金沢街道沿いにあります。筋替橋は、滑川に注ぐ小さな川にかかっていた橋で現在は暗渠(あんきょ・水面が見えないようになっていること)となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

関取場跡碑

関取場跡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。金沢街道の岐れ道近くにあります。関取場は、いわゆる関所であり通行税の徴収場所のことです。また鎌倉時代ではなく、室町時代末期に作られたとされています。
鎌倉の国の登録有形文化財

湯浅物産館 鎌倉市景観重要建築物等 指定第25号

湯浅物産館は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられたモダンな建物です。鎌倉の中心とも言える段葛(若宮大路)沿いにあり、現在はいくつかの店舗が同居して営業を続けています。一般公開はされていないものの、普通にお客さんとしての利用なら店内も見ることが出来ます。
鎌倉の国の登録有形文化財

三河屋本店 鎌倉市景観重要建築物等 指定第22号

三河屋本店は、鎌倉市雪ノ下にある昭和初期に建てられた出桁造りの建物です。鎌倉の中心とも言える段葛(若宮大路)沿いにあり、創業から続く酒店として今も営業を続けています。一般公開はされていないものの、普通にお客さんとしての利用なら店内も見ることが出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

大蔵幕府舊蹟(大蔵幕府旧跡)碑

大蔵幕府舊蹟(大蔵幕府旧跡)碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。清泉小学校の南西の角にあります。大蔵幕府とは、鎌倉幕府の中心となった場所のことですが、源頼朝時代のことで、その後は宇津宮辻幕府となっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

畠山重忠邸址碑

畠山重忠邸址碑は、大正時代に青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鶴岡八幡宮の東側の鳥居から出るとすぐ前にあります。ふと気になって見てしまうかもしれませんが、ここに畠山 重忠という平安から鎌倉時代の武将の家があったとされることから設置された石碑です。