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文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑) 鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。

金沢街道から少し奥に入った滑川の「大御堂橋」の近くに建っています。

文覚上人とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧です。

文覚上人屋敷跡碑 詳細とアクセス方法

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

  • 読み方:もんがくしょうにんやしきあとひ
  • 文化財区分:なし(旧跡碑)
  • 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下4-5-1
  • 建立:1922年(大正11年)3月
  • TEL:-
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし

文覚上人屋敷跡碑へのアクセス方法・行き方

  • 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約4分
  • 鎌倉駅(東口)から徒歩約20分(約1.5km)

駐車場が無いため公共交通機関で来られることをおすすめします。

文覚上人屋敷跡碑の写真と碑文と意味

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

文覚俗稱ヲ遠藤盛遠ト言ヒ
モト院ノ武者所タリシガ
年十八
想ヲ左衛門尉源渡ノ妻袈裟御前ニ懸ケ卻テ誤ツテ之ヲ殺シ愴恨ノ餘僧ト為ル
其ノ練行甚ダ勇猛ニ祁寒盛暑林叢ニ露臥シ飛瀑ニ凝立シ屡死ニ瀕ス
養和二年四月頼朝ノ本願トシテ
辨財天ヲ江島ニ勸請シ
之ニ参籠スル事三七箇日
食ヲ斷ツテ祈願ヲ凝ラセリト
此ノ地即チ其ノ當時文覺ガ居住ノ舊迹ナリ

管理人訳

文覚上人の出家前の名は遠藤盛遠と言います。
以前は院(上西門院)の警備をしていましたが、18歳の時に源渡の妻袈裟御前(けさのごぜん)に想いをよせ、源渡を殺そうとして、誤って袈裟御前を殺してしまいました。
これを深く後悔して僧となりました。
その修行は凄まじ良いもので、厳寒の時も、猛暑の中でも外で寝て、滝に打たれ、動けなくなったり死にかけることもよくありました。
養和2年(1182年)4月、源頼朝の要請を受け江ノ島に弁財天を建て、 ここで三十七日間、断食をして祈りつづけたと言われています。
この場所がその文覚が住んでいた屋敷の跡です。

すんなりと書かれていますが、源渡(みなもとのわたる)氏も不憫ですよね。

文覚上人屋敷迹碑(文覚上人屋敷跡碑)

滑川にかかる大御堂橋の欄干の奥に文覚上人屋敷跡碑があるので、滑川散策の時に立ち寄ってみるのが良いのではないでしょうか?

文覚上人屋敷跡碑付近の観光スポット

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