「アフィリエイト広告」等の広告が掲載してある場合があります

大町・材木座エリア

鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

高井真哉君之碑

高井真哉君之碑は、大正時代に鎌倉町青年団小町支部によって建てられた石碑です。他の鎌倉町青年団(青年会)が建てたものは史跡に関する石碑ですが、この石碑のみ史跡とは異なることが記されています。非常にわかりにくい場所にある石碑です。
鎌倉の国指定史跡

大町釈迦堂口遺跡

大町釈迦堂口遺跡は、鎌倉市大町にある国指定史跡です。釈迦堂切通ややぐら群を含む史跡から構成されており、鎌倉の史跡の中でも原型を比較的とどめていると言われています。ただし落石・崩落の危険性から長いこと立入禁止になっており、現在に至ります。
神奈川県・鎌倉市指定史跡

内藤家墓地

内藤家墓地は、鎌倉市材木座にある鎌倉市指定史跡です。光明寺の境内にあり光明寺が管理しています。内藤家は、藤原秀郷の末裔と伝わる磐城平藩主・日向延岡藩主だった江戸時代の大名です。3メートルを超える宝篋印塔が並び、まるで日本では無いような光景です。
鎌倉の景観重要建築物等

伊藤邸(旧望洋楼) 鎌倉市景観重要建築物等 指定第2号

伊藤邸(旧望洋楼)は、鎌倉市大町にある昭和初期に建てられた洋館風の建物です。公開はされておらず、更に一般道からはほぼ見えない位置にあるため、実際の形状はどうなっているのか全くわからない建物です。1990年(平成2年)に鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。
鎌倉の国指定史跡

お猿畠の大切岸

お猿畠の大切岸は、鎌倉市と逗子市の境にある約800メートルにもおよぶ人工的に作られた崖・切岸です。見学する場所はほぼ逗子市になります。国指定史跡「名越切通」内にありこの付近一体が国指定史跡となっています。ハイキングコースの途中にあるので、散策ついでに立ち寄るのがおすすめです。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

佐竹屋敷跡碑

佐竹屋敷跡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。大宝寺の入口に割と存在感があるように建っています。ここで言う佐竹氏は、佐竹秀義を最初とする鎌倉時代の武将の一族を指します。大宝寺には佐竹氏ゆかりの多福稲荷があります。
神奈川県・鎌倉市指定の文化財

石廟(名越切通内)

石廟(名越切通内)は、逗子市と鎌倉市大町の境にある名越切通にある鎌倉時代末期から南北朝時代に作られたと思われる石造の墳墓堂です。鎌倉市指定の文化財にもなっています。名越切通の浄明寺・ハイランド側の入口近くにひっそりと建っています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

日蓮上人草庵阯碑

日蓮上人草庵阯碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。鎌倉市大町にある安国論寺の入口、石垣の上に建っています。日蓮上人とは、鎌倉時代の仏教の僧であり日蓮宗の宗祖となった方です。鎌倉市内には日蓮に因んだ史跡がいくつかあり、説明のための石碑です。
鎌倉十井

銚子ノ井

銚子ノ井は、神奈川県道311号線「鎌倉葉山道」の名越踏切から少し東側に進んだところにある井戸の跡です。鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸である「鎌倉十井」(かまくらじっせい)の1つとなっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

萬葉集研究遺跡碑(万葉集研究遺跡碑)

萬葉集研究遺跡碑(万葉集研究遺跡 )は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。妙本寺の境内、祖師堂の近くに建っています。天台宗の学問僧である仙覚が万葉集研究を行った新釈迦堂があったとされる場所です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

比企能員邸阯碑

比企能員邸阯碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。妙本寺の総門の右脇に建っています。比企能員は、鎌倉殿の13人の1人でしたが、北条時政との対立により処刑され比企一族も滅ぶことになりました。
鎌倉の国の登録有形文化財

材木座公会堂

材木座公会堂は、鎌倉市材木座にある大正時代に建てられた木造建築物です。2020年8月に国の登録有形文化財に登録されました。元々、地元や別荘地の住民の寄付により建てられた集会所兼防災施設であり、現在も地元の公民館・集会所として使われています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

町屋址碑

町屋址碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。大町四ツ角の交差点から少し南下した小町大路沿い、逆川のすぐ近くに建っています。町屋(まちや)とは、民家の一種で町人の住む店舗併設の昔の都市型住宅のことです。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

辨谷碑(弁谷碑)

辨谷碑(弁谷碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座の中でも観光客が通ることがほぼ無い場所に建っています。辨谷は、元々はこの辺りの地名であり、北条高時が創建した金剛山崇寿寺があったとされています。
鎌倉十井

六角ノ井

六角ノ井は、逗子市小坪に限りなく近い鎌倉市材木座にある古井戸です。現在は井戸としては使われておらず、名所として残っている状態です。鎌倉の観光名所とされた良質な水が湧いたり、伝説が残ったりしている井戸である「鎌倉十井」(かまくらじっせい)の1つとなっています。
鎌倉十橋

逆川橋

逆川橋は、鎌倉市大町の小町大路から少し奥に入ったところにある小さな橋です。鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる「鎌倉十橋」の1つで、出来た当時とは姿かたちは変わっていますが現存しています。
鎌倉の国指定史跡

和賀江島

和賀江島は、鎌倉市材木座にある国指定史跡です。鎌倉時代の1232年に築かれた防波堤・人工島であり、現存する日本最古の築港遺跡となっており、跡が干潮時には見えます。またこの辺りからの景色は非常に綺麗で晴れて澄んだ日には江ノ島から富士山まで見渡すことが出来ます。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

和賀江島碑

和賀江島碑は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座海岸の東端、海中の岩の上に建つ石碑ですが、干潮時には歩いて石碑の前まで行くことが出来ます。和賀江島は現存する築港遺跡としては日本最古となっています。
鎌倉十橋

夷堂橋

夷堂橋は、鎌倉市内を流れる滑川にかかる、鎌倉市小町と鎌倉市大町をつなぐ橋です。現在の橋は昭和49年(1974年)に作られたものですが、江戸時代以前からあった橋として、鎌倉十橋の1つにも数えられています。橋の上からは滑川が見え、時折亀や鯉などを見ることも出来ます。
鎌倉五名水

日蓮乞水(日蓮水)

日蓮乞水(日蓮水)は、鎌倉市大町にある昔からの伝承が残る古井戸です。鎌倉五名水と呼ばれる鎌倉を代表する5つの名水(美味しい水)の1つです。古井戸と石碑があるくらいで大きな史跡ではありませんが、話の種に訪れてみても良いかもしれません。
鎌倉のその他の史跡

黄金やぐら

黄金やぐらは、鎌倉市大町でもかなり逗子市よりにある史跡です。鎌倉やその周辺には数千ものやぐらがあり、無名のものも多い中、名前がついている数少ないやぐらですが、正直なところあまり見応えが無い地味なやぐらです。しかし伝承からなぜか知名度だけは少しあります。
鎌倉十橋

乱橋(亂橋・濫橋)

乱橋(亂橋・濫橋)は、鎌倉市材木座にある橋です。今でも実在していることには実在しているのですが、側溝とも言える川の上に普通にアスファルトが敷かれ、橋には到底見えない状況になっています。鎌倉十橋の1つになっています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

乱橋碑(亂橋碑)

乱橋碑(亂橋碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。材木座を通る小町大路、五所神社近くに建っています。昔の鎌倉を代表する鎌倉十橋の1つ「乱橋」の説明が刻まれています。乱橋そのものは橋標が残る程度です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

元八幡碑

元八幡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。由比若宮・元鶴岡八幡宮の境内に建っています。由緒書や看板の後ろに建っており、更に文字数が多いため非常に読みにくくなってしまっているのが残念な石碑です。