主馬盛久之頸座碑(主馬盛久之頚坐碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
由比ヶ浜駅からほど近い、由比ヶ浜大通り沿いに庚申塚と一緒に建っています。
面白い逸話が刻まれた碑です。
主馬盛久之頸座碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:しゅめもりひさのくびざひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷1-7
- 建立:1935年(昭和10年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
主馬盛久之頸座碑へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「由比ヶ浜駅」から徒歩約4分(約270メートル)
- 鎌倉駅(西口)から徒歩約15分(約1.2km)
- 鎌倉駅から大仏前方面行きの江ノ電バス・京急バスに乗車、「長谷東町」で下車、そこから徒歩約2分(約100メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。
主馬盛久之頚坐碑の写真と碑文と意味
盛久ハ主馬入道盛国ノ子ニシテ
平家累代ノ家人ナリ
然ルニ平家滅亡ノ後
京都ニ潜ミ年来ノ宿願トテ清水寺ニ参詣ノ帰途
北条時政人ヲシテ召捕ヘシメ
鎌倉ニ護送シ
文治二六月此地ニ於テ斬罪ニ処セラレントセシニ奇瑞アリ
宥免セラレ剰ヘ頼朝其所帯安堵ノ下文ヲ給ヒシトイフ
管理人訳
盛久は、主馬(馬に関することを行う役職)入道盛国の子であり、平家に代々仕えてきた平家側の人間です。
そのため平家が滅亡した後は、京都に潜んでいましたが、長年の願いであった清水寺参拝の帰り道に北条時政の部下に捕まり、鎌倉に護送されました。
文治2年(1186年)6月、この地において処刑される時に不思議なことがおこり、処刑を許されただけでなく、源頼朝から領地まで与えられたそうです。
不思議なことは、首を切ろうとした刀が折れてしまったことや、富士山の方から2つの光が来て盛久の身を照らしたこと、北条政子が夢の中で盛久を赦免するようにお告げがあったことと言われています。
現在、主馬盛久之頸座碑は上記の写真のように大きな木のすぐ近くに庚申塚とともにあります。
主馬盛久之頸座碑の前から西側を見ると長谷寺の御堂が見えますが、富士山は長谷寺の後ろの山のため見えないようになっています。
だから富士山から光が来たというのもおかしな話ですが、面白い逸話です。
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