扇谷上杉管領屋敷迹碑(扇谷上杉管領屋敷跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市扇ガ谷の寿福寺踏切のすぐ近くに建っています。
上杉氏の扇ガ谷にあった屋敷跡を伝える石碑です。
扇谷上杉管領屋敷迹碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:おうぎがやつうえすぎかんれいやしきあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-4-3
- 建立:1922年(大正11年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
管領は「かんりょう」と読むことが多いですが、この場合の「管領」は室町幕府の職名で「かんれい」と読むのが一般的です。
扇谷上杉管領屋敷迹碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(西口)から徒歩約10分(約750メートル)
- 北鎌倉駅から徒歩約25分(約1.7km)
鎌倉駅からが近いですが、亀ヶ谷坂切通を通って観光を兼ねるのであれば、北鎌倉駅から向かうのもおすすめです。
扇谷上杉管領屋敷迹碑の写真と碑文と意味
内大臣藤原高藤十三代ノ裔ニ重房アリ
宗尊親王ニ従ヒテ鎌倉ニ下リ
食邑ヲ丹波國上杉荘ニ賜リテ
始メテ上杉氏ヲ稱セルガ
其ノ曾孫憲顕
管領基氏ノ執事ト為リテヨリ一族勢力ヲ関東ニ占ム
門葉數家重房五世ノ孫顕定扇谷家ヲ創ム
文明ノ交扇谷家六代ノ主定正賢臣太田道灌ヲ用ヒテ家聲ヲ揚クルヤ
世ニ宗家山内ト共ニ両上杉又ハ両管領ト稱ス
此ノ地即テ其ノ邸址ナリ
管理人訳内大臣の藤原高藤の十三代後に藤原重房がいました。
鎌倉6代将軍となった宗尊親王に従って、鎌倉に行きました。
そして、丹波国(京都)の上杉に領地をいただいたので、名前を上杉と名乗りました。
そのひ孫の上杉憲顕は、管領・足利基氏の執事となり、一族の勢力は関東に広がりました。
重房から5代後の顕定は、扇谷家を起こしました。
文明年間(1469~1487)頃、扇谷家の6代目の定正は、太田道灌を用いて勢力を広げました。
世の人々は、山内家と共に、両上杉または両管領と呼ばれるようになりました。
ここがその屋敷の跡です。
鎌倉6代将軍となった宗尊親王に従って、鎌倉に行きました。
そして、丹波国(京都)の上杉に領地をいただいたので、名前を上杉と名乗りました。
そのひ孫の上杉憲顕は、管領・足利基氏の執事となり、一族の勢力は関東に広がりました。
重房から5代後の顕定は、扇谷家を起こしました。
文明年間(1469~1487)頃、扇谷家の6代目の定正は、太田道灌を用いて勢力を広げました。
世の人々は、山内家と共に、両上杉または両管領と呼ばれるようになりました。
ここがその屋敷の跡です。
鎌倉幕府後、室町幕府時代の話です。
寿福寺踏切を渡ってすぐに扇谷上杉管領屋敷迹碑はあります。
扇谷上杉管領屋敷迹碑 付近の観光スポット
- 相馬次郎師常之墓
- 泉ノ井(鎌倉十井)
- 智岸寺稲荷
- 英勝寺
- 寿福寺
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