護良親王墓

護良親王墓 鎌倉のその他の史跡

護良親王墓は、鎌倉市二階堂にある後醍醐天皇の第三皇子とされる鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍だった護良親王のお墓です。

お墓そのものは一般開放されておらず直接見ることは出来ないようになっています。

護良親王墓 詳細とアクセス方法

護良親王墓

  • 読み方:もりよし しんのう ぼ(もりよししんのうのはか)
  • 文化財区分:なし
  • 管理団体:宮内庁
  • 住所:〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂748
  • TEL:042-661-0023(宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所)
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし
  • 売店:なし
  • 車椅子対応:なし
  • 公式サイト:なし

護良親王墓へのアクセス方法・行き方

  • 鎌倉駅から徒歩約30分(約2.3km)
  • 鎌倉駅から京急バス「鎌20・大塔宮 行き」に乗車、終点「大塔宮」下車・徒歩5分(約400m)

鎌倉駅から歩いていけないこともありませんが、バスがおすすめです。

なおGoogle Mapでルート検索すると反対側の場所に案内されるため「理智光寺址碑」を目的に設定するようにしてください。

護良親王墓の歴史・由緒

建武2年(1335年)7月、約10ヶ月余り、二階堂ヶ谷の東光寺に幽閉されていた護良親王は、北条時行軍が勢力拡大し諏訪頼重らに奉じられる事を警戒した足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されました。

「太平記」では、淵辺義博は土牢の中で護良親王を組み伏せ、太刀で喉元を刺そうとすると、親王は首をちぢめて剣先を咥え、歯で噛み折ったとされています。

格闘の末にようやく首を取った淵辺が首を持ち外に出て月あかりで見ると、首は両眼を見開き、歯には刀の先をくわえたままの凄惨な形相であった。淵辺はあまりの恐ろしさに、首を竹藪に投げすてたと言われています。

捨てられた護良親王の首は、理智光寺(廃寺)の住僧によって葬られたと伝えられています。

この首が切られた言い伝えが残っているため、鎌倉市内ではこの墓は首塚と思っている人もおり、不気味な場所という人もいます。

言い伝え通りであれば、建武2年7月23日(1335年8月12日)が護良親王が亡くなった年のため、その頃からお墓があることになります。

護良親王墓の車椅子・障害者対応

護良親王墓のお知らせの張り紙

現在、護良親王墓はがけ崩れのため立ち入り禁止になっています。

そのため参拝・見学出来る場所までは車椅子で行くことは可能ですが(段差はあるものの)、がけ崩れ以前は階段のみで車椅子ではいけませんでした。

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