畠山重忠邸址碑は、大正時代に青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鶴岡八幡宮の東側の鳥居から出るとすぐ前にあります。
ふと気になって見てしまうかもしれませんが、ここに畠山 重忠という平安から鎌倉時代の武将の家があったとされることから設置された石碑です。
畠山重忠邸址碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:はたけやま しげただ ていあと
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下3-2-9付近
- 建立:1923年(大正12年)3月
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
畠山重忠邸址碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅より徒歩約12分(約1km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「大学前」下車・徒歩約3分(約190メートル)
- 鶴岡八幡宮「馬場元(東側鳥居)」から徒歩約ほぼ0分(約5メートル)
鶴岡八幡宮と隣接しているため、鶴岡八幡宮に訪れた時に合わせて見るのがおすすめです。
上記写真は、鶴岡八幡宮の敷地内、東側の鳥居から見た風景ですが、鳥居の中央よりやや右側に畠山重忠邸址碑が写っています。
畠山重忠邸址碑の写真と碑文と意味
正治元年五月頼朝ノ女三幡姫疾ミ
之ヲ治センガ為當世ノ名医丹波時長京都ヨリ来レル事アリ
東鑑ニ曰ク七日時長掃部頭親能ガ亀ヶ谷ノ家ヨリ
畠山次郎重忠ガ南御門ノ宅ニ移住ス
是近クニ候ゼシメ
姫君ノ御病悩ヲ治療シ奉ランガ為ナリト
此ノ地即チ其ノ南御門ノ宅ノ蹟ナリ大正十二年三月 鎌倉町青年団建
管理訳
正治元年(1199年)源頼朝の娘の三幡が病気にかかり、これを治すために当時一番の名医といわれた丹波時長(たんばときなが)を京都から来ました。
吾妻鑑によると、7日に時長が、中原親能の亀が谷の家から治療のために畠山重忠の南御門(みなみみかど)にある宅に移動したと書いてあります。
この場所が南御門のその家のあった跡です。
南御門があるのなら、東御門や西御門もあると思いますよね。2つとも旧跡碑として存在していますし、西御門は住所としても存在しています。
畠山重忠について
畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。
鎌倉幕府の有力御家人でした。
源頼朝の挙兵に際して当初は敵対しますが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍します。
知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなしました。
しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれました(畠山重忠の乱)。
存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称されていました。
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中川大志さんが畠山重忠を演じます。
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