稚児塚(稚児墓・稚児の墓)
稚児塚(稚児墓・稚児の墓)は、六国見山山頂より約100メートルほど北側にある崩れた宝篋印塔であり史跡です。由比の長者「染谷時忠」の子の墓という説が伝わっていることが多いですが、いつ作られたものかは不明です。六国見山のハイキングに訪れた人が時折お参りしていきます。
野村総合研究所跡地
野村総合研究所跡は、鎌倉市梶原にある史跡というよりは廃墟と言える建物です。元々は野村総合研究所鎌倉研究センターとして設立されましたが、本社移転に伴い2003年に鎌倉市に寄附されましたが、跡地利用の目処が立っていません。現在、日中は一般開放されており外観のみ見ることが出来ます。
お塔の窪やぐら群
お塔の窪やぐら群は、鎌倉市二階堂にある北条高時を供養すると伝わるやぐらを含む史跡です。住所的には二階堂になっていますが、十二所側から向かうことになります。天園ハイキングコースにも繋がりますが、あまり通る人も多くはなく、やや荒れた登山道となっています。
無量寿院跡(無量寺跡)
無量寿院跡(無量寺跡)は、鎌倉市扇ヶ谷にあったとされる寺院跡です。鎌倉歴史文化交流館の敷地内にあったとされています。安達義景の縁の寺院と言われており、安達盛長の孫にあたることから、大河ドラマの影響で訪れる人が増えました。
北条小町邸跡
北条小町邸跡は、鎌倉市雪ノ下のビルの中にある史跡です。ビルの地下部分に出土した遺跡が見られるように強化ガラスをはめ込み、上から見ることが出来るようになっている一風変わった場所です。鶴岡八幡宮から非常に近い場所で少し立ち寄るのおすすめです。
紅葉山やぐら
紅葉山やぐらは、鎌倉市小町にあるやぐら(昔の墓地)です。この辺りは北条家の屋敷があったあたりであるため、北条家ゆかりの納骨が行われたやぐらだと考えられていますが、定かではありません。中はほとんど見えませんが、海蔵寺の十六ノ井と同じものがあるそうです。
石切り場跡(衣張山中腹)
石切り場跡は、鎌倉市浄明寺の衣張山の中腹にある鎌倉石を切り出していた跡です。杉本寺近くの衣張山への登山道の途中にあり、一瞬やぐらかな?と思いますが入口近くに「石切り場跡」と書かれています。いつ頃、利用されていたのかは不明ですが、不思議な雰囲気が漂う場所です。
平景清の牢跡・景清窟(水鑑景清大居士の碑)
平景清の牢跡・景清窟(水鑑景清大居士の碑)は、鎌倉市扇ガ谷にある史跡です。海蔵寺から化粧坂へ向かう途中にあります。住宅街の片隅に急に壊れたやぐら跡と石碑があるため、何なんだろう?と思う人も多いと思います。平景清は、平安末期から鎌倉時代初期の武士で、ここに幽閉されていたと伝わっています。
玉縄首塚
玉縄首塚は、鎌倉市岡本の柏尾川沿い、大船駅から徒歩7~8分のところにある史跡です。1526年(大永6年)に安房里見氏の鎌倉攻めの際に応戦し戦死した、渡内福原氏や大船甘粕氏一族35名を供養した塚(墓)とされています。六地蔵や稲荷社、馬頭観音碑なども一緒に祀られています。
朱垂木やぐら
朱垂木やぐらは、天園ハイキングコースの十王岩の近くから少し外れたところにあるやぐら及びやぐら群です。一般的なハイキングコースでは無いため、ほとんど人が来ない場所ですが、50ほどのやぐらがあり、鎌倉らしい景観を描いています。
和田塚
和田塚は、鎌倉市由比ガ浜の和田塚駅からほど近い場所にある史跡です。和田塚は、建暦3年(1213年)5月に起こった和田合戦においてほぼ滅亡した和田一族の墓とされています。鎌倉殿の13人とされる北条義時と和田義盛の戦いであり、これによって北条氏はより強固な執権体制を作ったとされています。
大江広元の墓(伝承・浄明寺・十二所の境)
大江広元の墓は、一般的には鎌倉市西御門にある法華堂の中にあるものとされますが、これは後世に作られたものであり、本当のお墓は浄明寺・十二所の境あたりの胡桃山と呼ばれる山中にあるものと伝わっています。登山道の途中にあり、訪れるのは少し大変なところにあります。
阿仏尼の墓
阿仏尼の墓は、鎌倉市扇ガ谷にある智岸寺稲荷の横にある、やぐらとその中の供養塔のことです。やぐらの中に六重となる供養塔があり、「阿佛」と刻まれ阿仏尼の墓と伝わっています。阿仏尼は「十六夜日記」等の紀行文日記の著者として、藤原定家の側室として、冷泉為相の母として有名です。
黄金やぐら
黄金やぐらは、鎌倉市大町でもかなり逗子市よりにある史跡です。鎌倉やその周辺には数千ものやぐらがあり、無名のものも多い中、名前がついている数少ないやぐらですが、正直なところあまり見応えが無い地味なやぐらです。しかし伝承からなぜか知名度だけは少しあります。
旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所(旧横浜興信銀行)
旧鎌倉銀行 由比ガ浜出張所は、昭和初期に建てられた銀行建築物です。特に文化財として登録されていませんが、パッと見た時に惹きつけられる古い洋風建築物であり、いつかは文化財として登録されるのではないかと思います。元々は、今はなき鎌倉銀行の由比ガ浜出張所として作られました。
日蓮上人辻説法跡
日蓮上人辻説法跡は、鎌倉市小町にある史跡です。 何か建物がある訳ではなく、石碑等が置かれているだけの場所ですが、鎌倉仏教を学ぶ上で訪れておきたい場所の1つと言えます。 石碑が数多くあるので、ちょっと異質に感じる場所かもしれません。 日蓮上人...
北条高時腹切りやぐら
北条高時腹切りやぐらは、国指定史跡である東勝寺跡にある「やぐら」(昔の墓所・墓地)です。鎌倉市内でも有数の心霊スポットであり、冗談半分で訪れるべき場所ではありません。昼間でも薄暗く何となく怖く感じる場所です。
護良親王墓
護良親王墓は、鎌倉市二階堂にある後醍醐天皇の第三皇子とされる鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍だった護良親王のお墓です。お墓そのものは一般開放されておらず直接見ることは出来ないようになっています。
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓
島津忠久の墓・大江広元の墓・毛利季光の墓は、鎌倉市西御門にある法華堂跡と呼ばれる国指定史跡にあります。急な階段を上った先に3人のやぐら上の墓が並んであり、不思議な光景となっており、鎌倉観光で是非とも立ち寄って欲しいスポットです。
三浦泰村一族の墓・三浦一族のやぐら
三浦泰村一族の墓(三浦一族のやぐら)は、鎌倉市西御門にある法華堂跡と呼ばれる国指定史跡にあります。三浦泰村一族の墓(三浦一族のやぐら)自体は国県市の史跡には登録されていませんが、法華堂跡(国指定史跡)の一部として合わせて見学されることが多くなっています。