靑砥藤綱舊蹟碑(青砥藤綱旧跡碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
東勝寺橋の欄干のすぐ近く、Vin茶家 OMOTEというワイン茶屋の前に建っています。
東勝寺橋の見学と合わせて見て欲しい石碑です。
青砥藤綱旧跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:あおとふじつな きゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町3丁目2
- 建立:1938年(昭和13年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
青砥藤綱旧跡碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約11分(約850メートル)
小町大路から更に路地に入っていった先にあります。
青砥藤綱旧跡碑の写真と碑文と意味
太平記ニ據レバ
藤綱ハ北条時宗貞時ノ二代ニ仕ヘテ引付衆ニ列リシ人ナルガ
嘗テ夜ニ入リ出仕ノ際
誤ツテ錢十文ヲ滑川ニ墜シ
五十文ノ續松ヲ購ヒ水中ヲ照ラシテ錢ヲ捜シ竟ニ之ヲ得タリ
時ニ人々小利大損哉ト之ヲ嘲ル
藤綱ハ「十文ハ小ナリト雖之ヲ失ヘバ天下ノ貨ヲ損ゼン五十文ハ我ニ損ナリト雖亦人ニ益ス」旨ヲ訓セシトイフ
即チ其ノ物語ハ此ノ邊ニ於テ演ゼラレシモノナラント傳ヘラル
管理人訳
太平記によれば、藤綱は北条時宗・貞時の二代に仕えて、引付衆(今で言う裁判官に近い)をしていました。
ある夜のこと、謝ってお金の十文を滑川に落してしまったので、松明を五十文で買って、水の中を照らさしてお金をさがし、とうとうそのお金を見つけました。
その時人々は、得たものよりも失ったものの方が大きく大損だと笑いました。
太平記によれば、藤綱は北条時宗・貞時の二代に仕えて、引付衆(今で言う裁判官に近い)をしていました。
ある夜のこと、謝ってお金の十文を滑川に落してしまったので、松明を五十文で買って、水の中を照らさしてお金をさがし、とうとうそのお金を見つけました。
その時人々は、得たものよりも失ったものの方が大きく大損だと笑いました。
藤綱は「十文は小さいが、このお金を無くすことは、天下のお金を無くすことだ。私は五十文を損したが人々のためになった。」と教え諭したそうです。
この物語は、この辺りであったことと伝えられています。
青砥 藤綱は、鎌倉時代後期の武士ですが、生没年は不詳となっています。
青砥藤綱旧跡碑のすぐ横には「東勝寺橋」という鎌倉の景観重要建築物等・かまくら景観百選に指定されています。
青砥藤綱旧跡碑付近の観光スポット
- 東勝寺橋
- 宝戒寺
- 東勝寺跡
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