阿佛邸舊蹟碑(阿仏邸旧蹟碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
江ノ電の極楽寺駅と稲村ヶ崎駅の間、極楽寺よりの踏切の横に建っています。
阿仏は阿仏尼のことで13世紀・鎌倉時代中期の女流歌人であり尼です。
阿佛邸舊蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:あぶつてい きゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0023 神奈川県鎌倉市極楽寺3-12
- 建立:1920年(大正9年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
阿佛邸舊蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 江ノ電「極楽寺駅」から徒歩約4分(約300メートル)
- 江ノ電「稲村ヶ崎駅」から徒歩約9分(約700メートル)
この後、どこに向かうかですが、極楽寺駅から成就院や長谷の方に抜けるのなら稲村ヶ崎駅から歩く方が散策としては楽しいと思います。
阿佛邸舊蹟碑の写真と碑文と意味
阿佛ハ藤原定家ノ子為家ノ室ニシテ
和歌ノ師範家冷泉家ノ祖為相ノ母ナリ
為相ノ異母兄為氏為相ニ属スベキ和歌所ノ所領
播磨細川ノ庄ヲ横領セ出ヲ以テ之ヲ執権時宗ニ訴ヘ
其ノ裁決ヲ乞ハントシ
建治三年京ヲ出デテ東ニ下リ居ヲ月景ガ谷ニトス
即チ此ノ地ナリ
其ノ折ノ日記ヲ十六夜日記ト伝ヒテ世ニ知ラル
係争久シキニ彌リテ決セズ
弘安四年遂ニ此ニ没ス
管理人訳
阿仏尼は、藤原定家の息子である為家の妻で、和歌の師範である冷泉家を起こした為相の母でもあります。
為相の義理の兄・為氏が、播磨の細川にある為相の領地を横領したので、これを北条時宗に訴えるために、建治3年(1277年)に京都を出て、東に進み、鎌倉の月影ヶ谷に住みました。ここがその地です。
その時の日記を「十六夜日記」と言い、世間によく知られています。
裁判は長引き、なかなか決着しませんでした。そして弘安4年(1281年)ここで亡くなりました。
十六夜日記の名称は10月16日から始まっていたことに由来して、後世につけられたものです。
阿佛邸舊蹟碑は、江ノ電の稲村ケ崎3号踏切の脇にひっそりと建っています。
江ノ電を見ながら阿仏尼の十六夜日記を読むなんて、良いかもしれませんね。
なお阿仏尼の墓は扇ガ谷という場所にある「智岸寺稲荷」の横にあります。
阿佛邸舊蹟碑付近の観光スポット
- 針磨橋
- 極楽寺
- 成就院
- 江ノ電 一般道との並走区間
コメント