永福寺舊蹟碑(永福寺旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
永福寺跡の東南側の入口に建っています。
永福寺はかつて鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つでしたが15世紀初頭に廃絶し、2007年以降に基壇(基礎)が復元され、観光地となっています。
永福寺舊蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ようふくじきゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂
- 建立:1920年(大正9年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間(永福寺跡は夜間閉鎖)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
永福寺舊蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(JR・江ノ電)から徒歩約30分(約2.0km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌20・大塔宮 行き」に乗車、終点「大塔宮」下車・徒歩5分
- 鎌倉駅からタクシーでひどい渋滞がなければ10~15分ほど
駐車場が無いため公共交通機関で訪れることをおすすめします。なお駐輪場があるので、自転車やバイクで来ることは可能です。
永福寺舊蹟碑の写真と碑文と意味
永福寺世ニ二階堂ト稱ス
今ニ二階堂ナル地名アルハ
是ガタメナリ
文治五年頼朝奥州ヨリ凱旋スルヤ
彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ擬シテ
之ヲ建立ス
輪奐壮厳洵ニ無雙ノ大伽藍タリキト云フ
享徳年間關東管領ノ歿落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス
管理人訳
永福寺は当時、二階堂と呼ばれていました。
現在、二階堂という地名があるのはこのためです。
文治5年(1189年)、源頼朝が奥州より凱旋してすぐ、奥州にあった大長寿院の二階堂に似せて、永福寺を建立しました。
非常に大きく荘厳な類を見ない寺院建築物だったと言われています。
享徳年間(1452~1455年)に関東官領(将軍代理職)の権力が弱まっていく頃から荒廃していきました。
永福寺は当時、二階堂と呼ばれていました。
現在、二階堂という地名があるのはこのためです。
文治5年(1189年)、源頼朝が奥州より凱旋してすぐ、奥州にあった大長寿院の二階堂に似せて、永福寺を建立しました。
非常に大きく荘厳な類を見ない寺院建築物だったと言われています。
享徳年間(1452~1455年)に関東官領(将軍代理職)の権力が弱まっていく頃から荒廃していきました。
実際には1402年に火災により再建されることなく廃絶していったようです。
現在、永福寺跡は基壇(基礎)が復元され、観光地となっていますが、土日くらいしか観光客は来ていませんが、平日は近隣の方の憩いの場として、公園のようになっています。
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