東勝寺舊蹟碑(東勝寺旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
国指定史跡「東勝寺跡」の奥にあり、すぐ近くには「北条高時腹切りやぐら」があって昼間でも少し怖さを感じる場所です。
無闇におすすめ出来る場所ではありません。
東勝寺旧跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:とうしょうじきゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町3-10
- 建立:1918年(大正7年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
東勝寺旧跡碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約16分(約1.1km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「大学前」下車・徒歩約10分
駐車場が無いため、公共交通機関で来ることになりますが、有名な心霊スポットのため何かあった時のことを考えて行くかどうかを決めてください。
東勝寺旧跡碑の写真と碑文と意味
元弘三年五月
新田義貞ノ鎌倉ニ乱入スルヤ
高時小町ノ邸ヲ後ニ
父祖累世ノ墓所東勝寺ニ篭リ
百五十年来殷賑ヲ極メシ府下邸第肆廛ノ今ヤ一面ニ焔煙ノ漲ル所トナルヲ望見シツツ
一族門葉八百七十餘人ト共ニ自刃ス
其ノ北條執権史終局ノ惨澹タル一駒ハ
實ニ此ノ地ニ於テ演ゼラレタルナリ
管理人訳
元弘3年(1335年)5月、新田義貞が鎌倉に攻め込んで来ると北条高時は小町の屋敷を後にして、先祖代々の墓所がある東勝寺に立て籠もりました。
150年活気に満ちあふれていた鎌倉幕府の街の屋敷や商店が一面の炎と煙に包まれる様子を遠く眺めながら、北条一族870名余りがともに自害しました。
北条家の政権の終局となる惨憺(凄惨)なる舞台は、この場所で行われました。
夏になるとシダや草木で覆われるような場所にある東勝寺旧跡碑は、普段はとても静かで、自害した北条家が眠る場所だと感じられる場所です。
東勝寺旧跡碑付近の観光スポット
- 東勝寺橋
- 東勝寺跡
- 宝戒寺
- 鶴岡八幡宮
コメント