寺分富士は、鎌倉市寺分に住宅街から少しだけ外れたところにあり山岳信仰となった富士塚のことです。
富士山信仰があった跡地として現在も残されています。なおこの辺りに「寺分富士塚遺跡」という縄文時代の竪穴式住居阯(出典は寺分富士の関連リンクに表示)があったそうで古くから富士山信仰の原型があった可能性もあります。
寺分富士には石塔が3つありますが、1つは月山・湯殿山大権現供養と刻まれているため、月山信仰をしていた人が移り住んできたかもしれません。月山は山形県にある山です。
恐らくここから富士山が見られたと思いますが、現在は富士山方向に木々が茂り見られないようです。
寺分富士(富士塚) 詳細とアクセス方法
- 読み方:てらぶんふじ(ふじづか)
- 文化財区分:なし
- 管理団体:不明(土地としては鎌倉市)
- 住所:鎌倉市寺分2丁目25番
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:なし
寺分富士へのアクセス方法・行き方
- 湘南モノレール「湘南町屋駅」から徒歩約10分(約500メートル・半分以上上り坂)
- 大船駅より京急バス「船50」系統に乗車・丸山一番通り下車・徒歩約4分
近くまでは迷わずいくことは出来ますが、近づいたところで本当にこの先にあるのか不安になるかと思いますので、簡単なイラストマップを掲載しておきます。
簡易的な図ですが、Googleマップ等で階段前まではいけるかと思います。
上記写真の左側の階段を上っていきます。
階段を上り終えると上記写真のように山道のような道が続きます。ここで左側を見ると下記写真の「上町屋特別緑地保全地区 鎌倉市」(イラストマップの1)と書かれた案内塔があります。
最初のイラストマップの1の場所です。この奥に2つの石塔(イラストマップの2と3)があります。
左側に向かわず直進すると弧を描いて上記写真の場所までぐるっと回れるようになっています。道?にそって進むと下記写真のようになっています。
この山道のようなところを上るとイラストマップの4の石塔に出ます。
初めてくるとどちらかを見落とすことが多いようです。
寺分富士の歴史・由緒
石塔の文字がかすれて全文は読めませんが、嘉永ニ酉年四月とあるので現在の暦で言えば1849年5月頃に石塔は置かれたものと思われます。当時は旧暦なので1849年の4月は現在のグレゴリオ暦に換算すると5月3日から5月31日までが嘉永ニ酉年四月の期間となります。
他の石塔はいつか判別出来なかったので、多少のズレはあるかもしれません。
寺分富士の車椅子・障害者対応
階段および山道のようなところを歩くため、車椅子で行くことは出来ません。なお直前まで車でいって体力があり脚力のある人ならおぶって行くことは可能かと思いますが転ぶと危険なのでおすすめはしません。
寺分富士 訪問レポート
2025年5月後半、あいにくの曇り空でしたが訪れてきました。
本当にこの先に進んで良いのか不安になりましたが、とりあえず行ってみよう!と覚悟を決めて階段を上っていきます。
まずは石塔が2つ並ぶところへ
湯殿山大権現と書かれた石塔に少し違和感を覚えましたが、北海道小樽市にも「出羽三山神社」があるので鎌倉で月山信仰・出羽三山信仰があってもおかしくないのかな?と思いました。
真と書かれた石塔、そういえば同じ寺分にある「駒形神社」にも真と刻まれた富士浅間神社の角塔があったのを思い出しました。富士山信仰・富士講では「真」の文字が刻まれた石塔をよく設置していたようです。
これで帰ろうかと思いましたが、奥にすすめるようになっている踏み固められた山道が気になり奥へと進みました。
進んで大正解!更に上れるようになっていました。
上り切ると石塔が山頂(と思われるところ)の中央付近にありました。
もっと低い梶原や寺分からでも富士山が見られる場所があるので、木々が富士山方向に生えてなければ見られたと思います。
ここからは富士山とは反対方向ですが、眺めがよくなっていました。奥に見える高い位置にある住宅街は高野の住宅街のようです。
角度を少し変えてみると「レーベンスガルテン山崎」(UR)が見えて奥に横浜市の本郷台前のマンション群、更に奥には横浜ランドマークタワーが見えました。
5月に訪れて思ったのは、来るのなら冬の晴れた日だな~ということ。蚊は多いし草はかなり生えているし、割と大変です。冬なら蚊はいないし草も枯れているし、木々の葉も落ちてもう少し見やすいだろうし、空気も澄んで遠くまで見渡せるからです。
訪れるのなら12月から2月くらいまでの晴れた日が良さそうです。
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