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稲村ガ崎・腰越エリア

鎌倉の国指定史跡

稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)

稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)は、鎌倉市稲村ヶ崎にある国指定史跡です。鎌倉幕府の滅亡となる稲村ヶ崎突破となる軍を率いた新田義貞が稲村ヶ崎の海を割り渡ったという伝承が残る場所として、史跡に選定されています。史跡としても有名ですが、富士山と江ノ島を見渡せる絶景スポットとしても人気です。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

聖福寺阯碑

聖福寺阯碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。七里ヶ浜の住宅街の最奥、正福寺公園の東側の入口に建っています。聖福寺は、鎌倉幕府5代執権・北条時頼が創建したと伝わるお寺ですが、いつ廃寺となったのか詳しいことはわかっていません。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

義経宿陣之趾碑(義経宿陣之阯碑)

義経宿陣之趾碑(義経宿陣之阯碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。腰越の満福寺・山門前に建っています。源義経が源頼朝に鎌倉入りを許されず満福寺に滞在し、腰越状を書いた場所とされている跡地として紹介しています。
鎌倉の国の登録有形文化財

檑亭

檑亭は、鎌倉山に昭和初期、建てられた(一部移築)和風建築物です。檑亭として「鎌倉市景観重要建築物等」に指定、山門と本館が国の「登録有形文化財」に指定されています。現在は広い庭園を持つ蕎麦を中心とした会席料理店として営業されています。
神奈川県・鎌倉市指定史跡

十一人塚

十一人塚は、鎌倉市稲村ガ崎にある鎌倉市指定史跡です。元弘の乱の1つとなる新田義貞の「鎌倉攻め」「鎌倉の戦い」において新田義貞軍の浜手の大将・大館宗氏ら11名が討死したため11人を埋葬し十一面観音堂を建てて霊を弔った場所とされています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

十一人塚碑

十一人塚碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。江ノ電「稲村ケ崎駅」からほど近い場所に建っています。十一人塚は、鎌倉攻めの新田義貞軍の浜手の大将・大館宗氏ら11名が討死したため11人を埋葬し十一面観音堂を建てて霊を弔った場所とされています。
鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

稲村崎碑

稲村崎碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。かながわの景勝50選にも選ばれている稲村ヶ崎にあり、晴れていれば江ノ島や富士山が一望出来る絶景スポットに建っています。史跡にもなっており周りにいろいろな石碑・レリーフが多くあります。