筋替橋碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鶴岡八幡宮を超えた少し先の金沢街道沿いにあります。
筋替橋は、滑川に注ぐ小さな川にかかっていた橋で現在は暗渠(あんきょ・水面が見えないようになっていること)となっています。
筋替橋碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:すじかえばし
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下3 付近
- 建立:1939年(昭和14年)3月
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
筋替橋碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩約13分(約1km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約1分
- 鶴岡八幡宮(東鳥居)から徒歩約2分(約140メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で向かうことをおすすめします。
筋替橋碑の写真と碑文と意味
鎌倉十橋ノ一ナリ寶治元年(皇紀一九〇七)六月三浦康村一族ノ叛亂ニ際シ北条時頼ノ外祖タル安達景盛ハ其ノ一族ト共ニ兵ヲ率ヰ此ノ橋ノ北邊ヨリ康村ノ第ヲ攻メシコト東鑑ニ見エタリ又文平二年(皇紀一九ニ五)三月鎌倉ニ於ケル商家ノ営業地域ヲ數ケ所ニ限定セル触書中ニ「一所須地賀江橋」トアルハ即チ此附近ノ事ナリ
管理人訳
筋替橋は鎌倉十橋のひとつです。
宝治元年(西暦1247年・皇暦1907年・皇暦は紀元前660年を元年とする)6月に三浦康村一族が反乱を起こしました。
その際に北条時頼の母方の祖父である安達景盛は、その一族と共に兵を率いて、この橋の北の辺りに集まり、康村の邸宅を攻めたことが吾妻鑑に書かれています。
また文平2年(西暦1265年・皇暦1925年)3月、鎌倉において商屋の営業地域を数か所に限定するというお触書の中に「一所須地賀江橋(いちしょすじかえばし)」と書いており、この付近のことです。
筋替橋は、横大路、小町大路、六浦道(現在の金沢街道)が交差する場所にあったため、筋(道)を替えるということで筋替橋と名付けられたものと思われます。
上記写真の道は現在の金沢街道です。
筋替橋碑の横には筋替橋の橋標も置かれています。
なお2000年代の写真を見ると筋替橋碑は金沢街道側に表が向いており、現在と若干違う場所に設置されていることがわかります。
筋替橋碑 付近の観光スポット
- 鶴岡八幡宮
- 宝戒寺
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