勝長寿院旧蹟碑(勝長壽院舊蹟碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市雪ノ下にありますが、地元の人しか通らないような場所にあります。
勝長寿院は、源頼朝が建立した寺院であり、鎌倉時代には鎌倉の三大寺社の1つとされていました。
勝長寿院旧蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:しょうちょうじゅいんきゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下4-6-20
- 建立:1917年(大正6年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
勝長寿院旧蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36・20」系統に乗車、「岐れ道」下車・徒歩約5分(約400メートル)
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約21分(約1.7km)
道が狭く駐車場が無いため、公共交通機関で訪れるのがおすすめです。
勝長寿院旧蹟碑の写真と碑文と意味
院ハ文治元年
源頼朝ノ先考義朝ヲ祀ランガ為ニ草創スル所
一二南御堂又大御堂ト言フ
此ノ地ヲ大御堂ケ谷ト言フハ是ガ為ナリ
實朝及政子モ亦此ノ地二葬ラレタリト傳ヘラルレドモ
其墓今ハ扇ケ谷壽福寺ニ在リ
管理人訳
勝長寿院は文治元年(1185年)に、源頼朝が父の義朝を祀るために創建しました。
南御堂とも大御堂とも言います。
この辺りを大御堂ヶ谷と言うはこのためです。
実朝(頼朝の子)と政子(北条政子・妻)もこの地に埋葬されたと伝えられますが、それらの墓は今、扇ガ谷の寿福寺にあります。
勝長寿院は鎌倉時代、鎌倉の三大寺社と言われており、三大寺社は永福寺・鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)・勝長寿院の3つと言われています。
碑の横には勝長寿院跡の石塔や、源義朝の墓・鎌田政家の墓があります。墓は恐らく後に作られたものでしょう。
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