泣塔( 石造宝篋印塔 文和五年銘)は、鎌倉市寺分にある1356年に建立されたと思われる仏塔・墓塔です。
深沢多目的スポーツ広場の一角にある山の中腹に建っていますが、崩落の可能性からフェンスが張られ少し離れたところからしか見ることが出来ません。
鎌倉市指定有形文化財になっています。
泣塔( 石造宝篋印塔 文和五年銘) 詳細とアクセス方法
- 読み方:なきとう(せきぞう ほうぎょくいんとう ぶんわごねんめい)
- 文化財区分:鎌倉市指定有形文化財
- 管理団体:鎌倉市
- 住所:〒247-0064 神奈川県鎌倉市寺分11
- TEL:0467-43-3419
- 見学可能時間:24時間(夜は非常に危険)
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし(施設利用団体は可)
- トイレ:あり
- 売店:なし
- 車椅子対応:なし
- 公式サイト:泣塔の公開について 鎌倉市
泣塔へのアクセス方法・行き方
- 湘南モノレール「湘南深沢駅」から徒歩約5分(約400メートル)
- 大船駅東口から京急バス「船50」系統に乗車、「大船工場」バス停下車、徒歩約2分(約300メートル)
駅から近いため、公共交通機関で訪れるのがおすすめです。
なおGoogle Map上だと近くの道から行けそうですが、近くの道からは見ることが出来ません。深沢多目的スポーツ広場内から見ることになります。
「富士塚小学校入口」交差点の近くに深沢多目的スポーツ広場内の入口があります。
泣塔の歴史・由緒
この丘の上には、数基の五輪塔を納めたやぐらと、「泣塔」と呼ばれる石造の宝篋印塔があります。 宝篋印塔は、舎利塔の一つの形式をいいます。 総高203cmの安山岩製で、 関東形式宝篋印塔の典型といえます。
基礎の銘文には「願主行浄 預造立 石塔婆 各々檀那 現世安穏後生善処 文和五年申丙二月廿日 供養了」と刻まれています。文和五年(1356年)は、 新田義貞による鎌倉攻めのあった元弘3年(1333年) の23年後にあたります。 この塔は当時の 「洲崎の合戦」における戦死者の23回忌の供養塔 として建てられたと考えられています。
しょうれん じ 「泣塔」の名前は、 この塔を手広の青蓮寺に移したところ、 夜な夜なすすり 泣く声が聞こえたため、元の場所に戻したことに由来するなどといわれています。
説明板には上記のように記されています。
なお泣塔の名前の由来は他にもあります。
- 塔の後ろのやぐらが風に反響して泣き声のような音を出すことから
- 「無き人(無縁仏の意)の塔」が訛ったとする説
- ここで夜な夜なすすり 泣く声が聞こえたため
なお青蓮寺に泣塔を移したという記録は青蓮寺には残ってないそうです。
泣塔の車椅子・障害者対応
フェンス外までは車椅子でも舗装はされていませんが行くことは出来ます。
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