鉄井碑(鐵井碑)は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉駅から鶴岡八幡宮の西端を結ぶ小町通りの鶴岡八幡宮側のT字路にあります。
鉄の井(鉄井)は、江戸時代に泉質の良いとされた井戸が10あり、その内の1つです。
鉄井碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:くろがねのいひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-8-20
- 建立:1941年(昭和16年)
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
鉄井碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約8分(約650メートル)
- 鶴岡八幡宮 三の鳥居から徒歩約2分(約150メートル)
鎌倉駅から小町通りを経由して鶴岡八幡宮、もしくは鶴岡八幡宮から小町通りを経由して鎌倉駅に行く途中にあります。
鉄井碑の写真と碑文と意味
鎌倉十井ノ一ナリ
水質清冽甘美にシテ盛夏ト雖涸ルルコトナシ
往昔此井中ヨリ高サ五尺餘ノ首許リナル鐵観音ヲ掘出シタルニヨリ鐵井ト名付クトイフ正嘉二年(皇紀一九一八)正月十七日丑ノ剋
秋田城介泰盛ガ甘縄ノ宅ヨリ失火シ
折柄ノ南風ニ煽ラレ火ハ薬師堂ノ後山ヲ越エ壽福寺ニ到リ郭内一宇ヲモ残サズ
焼失セシメ餘焔ハ更ニ新清水寺窟堂若宮寶蔵同別當坊等ヲ焼亡セシメタルコト
東鑑ニ見エタリ
此観音ハ其ノ火炎ニカカリ土中ニ埋モレシヲ掘出シタルモノナラン
尊像ハ新清水寺ノ観音ト傳ヘ後此ノ西方ナル観音堂ニ安置セラレシモ
明治初年東京ニ移セリトイフ
鉄井は、鎌倉十井(じゅっせい)のひとつです。
水は極めて清んで甘みもあり、真夏でも枯れることはありません。
昔この井戸から高さ1.5メートルほどの鉄の観音像の首の部分が掘出されたために鉄井(くろがねのい)と名付けられたと言われています。
正嘉2年(1258年)1月17日の深夜2時ごろ、 秋田泰盛(あきたやすもり)の甘縄の自宅から出火し、おりからの南風に煽られて火は薬師堂の後ろの山を越えて寿福寺にまで広がり、寺の建物は、一堂も残らず全焼しました。
火はさらに新清水寺・岩堂・若宮の宝物殿・宿坊まで焼き尽くしたことが吾妻鑑に書かれています。
この観音像はその火事の時、土の中に埋まったものを掘り出したものとされています。観音像は新清水寺のものと伝えられ、後にこの井戸の西にある観音堂に安置されましたが、明治の初めに東京に移されたそうです。
昔の火事は今とは全く別モノで、1度出火したら延焼を食い止めるのは難しかったそうです。
なお鉄井碑のすぐ横には実際の井戸が置かれています。
上記写真の左側の道を進むと鶴岡八幡宮の正面にたどり着きます。
鉄井碑付近の観光スポット
- 鶴岡八幡宮
- 小町通り
- 鎌倉市川喜多映画記念館
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