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今宮碑

今宮碑 鎌倉 旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)

今宮碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。

鶴岡八幡宮の今宮の境内に建っています。

今宮は鶴岡八幡宮の末社で、承久の乱で破れた後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇 の三天皇が祀られています。

今宮碑 詳細とアクセス方法

今宮碑

  • 読み方:いまみやひ
  • 文化財区分:なし(旧跡碑)
  • 住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2
  • 建立:1929年(昭和4年)12月
  • TEL:-
  • 見学可能時間:24時間
  • 見学料:無料
  • 定休日:なし
  • 駐車場:なし(鶴岡八幡宮への参拝なら有料駐車場あり)

今宮碑へのアクセス方法・行き方

  • 鎌倉駅(東口)から徒歩約16分(約1200メートル)

鶴岡八幡宮が鎌倉駅から徒歩10分くらいなので、鶴岡八幡宮の参拝の後に立ち寄るのがおすすめです。

今宮碑の写真と碑文と意味

今宮碑

今宮碑

四條天皇延應元年
鎌倉中處々喧嘩闘諍ノ事アリ
特ニ其ノ五月廿二日ニハ大騒動ヲ起セシト云フ
茲日後鳥羽院ハ隠岐ニ崩御シ給フ
由リテ斯ハ其ノ怨念ノ然ラシメシ所ナラントテ
寶治元年四月
大臣山ノ西麓ニ今宮ヲ建テ其院ノ尊霊ヲ勸請シ奉リ
順徳院及ビ護持僧長賢ヲ合祀セラル長賢ハ承久ノ役
官軍ニ属シテ奮戦
後捕ハレテ陸奥ニ謫セラレシ者ト云フ
今宮ハ又新宮ト書ス

管理人訳

四條天皇の時代である延応元年(1239年)、鎌倉のいろいろなところで喧嘩や争い事がありました。
特に同じ年の5月22日には大騒動となったそうです。
この日は後鳥羽院(後鳥羽上皇)が隠岐にて崩御したので、その怨念が原因だということで、宝治元年(1247年)4月に大臣山(鶴岡八幡宮のある山)の西の麓に今宮という神社を建て、後鳥羽院の霊と更に順徳院と長賢の霊も合わせて祀りました。
長賢は、承久の乱の官軍(天皇側)に属して戦い、後につかまり陸奥の国(今の東北・岩手あたり)に流刑になったものと言われています。
今宮は新宮と書くこともあります。

後鳥羽院の崩御は旧暦の2月22日(2月20日説もあり)であり、大喪礼は旧暦の5月16日だったため、5月22日と同じ日というのは間違いです。ただ言い伝え等でいつのまにか、どちらかの日にちが間違って伝わっている可能性もありえそうです。

今宮碑と今宮の社殿

上記写真の中央よりやや左側に写っているのが今宮碑の後ろ側で、奥に見えるのが現在の今宮の社殿です。

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