北條執權邸舊蹟碑(北条執権邸旧跡碑)は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
宝戒寺の境内に入ったところにひっそりと建っています。
鎌倉幕府の執権を握っていた北条家の最後の邸宅となった場所として石碑が建てられています。
北条執権邸旧跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ほうじょうしっけんていきゅうせきひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町3-6-1
- 建立:1918年(大正7年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
北条執権邸旧跡碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅(東口)から徒歩約11分(約850メートル)
- 鶴岡八幡宮(三の鳥居)から徒歩約3分(約250メートル)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌20・23・24・36」系統に乗車、「大学前」下車・徒歩約3分(約190メートル)
駐車場が無いため公共交通機関で向かうのがおすすめです。
北条執権邸旧跡碑の写真と碑文と意味
往時此ノ地ニ北條氏ノ小町亭在リ
義時以後累代ノ執權概ネ皆之ニ住セリ
彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴筵ヲ張リ
時ニ田樂法師ニ對シ
列坐ノ宗族巨室ト倶ニ
直垂大口ヲ争ヒ解キテ
纏頭ノ山ヲ築ケリト言フモ此ノ亭ナリ
元弘三年新田義貞亂入ノ際
灰燼ニ歸ス
今ノ寶戒寺ハ建武二年
足利尊氏ガ高時一族ノ怨魂弔祭ノ為
北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ故址ニ再興シ
以テ其ノ號ヲ改メシモノナリ
管理人訳
昔、この場所に北条氏(北条家)の小町邸宅がありました。
北条義時の執権(将軍代理)は概ねここに住んでいました。
かの北条高時が、朝も夕も宴会をおこない、時には田楽法師に、時に列席している北条一族などとともに、ひたたれ(武家社会の男性用衣装)や袴を褒美の山を築いたというのもこの邸宅です。
元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉に攻め入った際に、灰となってしまいました。
現在の宝戒寺は建武2年(1335年)、足利尊氏が北条高時の怨恨(霊)を弔うため、北条氏の菩提寺であった東勝寺をこの北条氏邸宅跡に建て替えて、その時に名前を変えたものです。
北条執権邸旧跡碑は、現在も宝戒寺の参道にひっそりと建っていますが、夏場だと草木に覆われ気づかない時もあります。
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