藤原仲能之墓碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
鎌倉市扇ガ谷・梶原にかかる源氏山公園の北側・葛原岡神社のすぐ近くに建っています。
藤原仲能は鎌倉幕府の重臣で、海藏時を創建したと伝わっています。
藤原仲能之墓碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:ふじわらなかよしのはかひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒247-0063 神奈川県鎌倉市梶原5-9 付近
- 建立:1936年(昭和11年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
藤原仲能之墓碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩約30分(約1.8km・半分近く上り坂)
- 北鎌倉駅から徒歩約25分(約1.5km・半分以上は上り坂)
- 鎌倉駅西口から京急バス「鎌51」系統もしくは江ノ電バス「K1・K6」系統に乗車、「法務局前」バス停下車、徒歩約20分(約1.1km・半分以上は上り坂)
- 大船駅東口から京急バス「船50」系統に乗車、「源氏山入口」下車、徒歩約10分(約450メートル・半分以上は上り坂と階段)
葛原岡神社の参拝と兼ねるのであれば葛原岡神社の駐車場が使えますが、土日祝と巳の日は、通行規制が行われるため日中は車で向かうことは出来ません。
藤原仲能之墓碑の写真と碑文と意味
此所ハ道智塚或ハ阿古耶尼ノ塚ト傳ヘラレシモ
海蔵寺傳ニ據リ
藤原仲能ノ墓所ト考察セラル
仲能ハ従五位下前能州大守ニシテ鎌倉幕府評定衆タリシガ
後年海蔵寺中興ノ大壇越トナリ
建長八年十二月九日寂シ
道智禪師ト稱ヘラレシモノノ如ク
其位牌同寺ニ現存ス
管理人訳
この場所は、道智塚または阿古耶尼の塚と伝えられていますが、海蔵寺の伝承によると、藤原仲能の墓と考えられます。
仲能は、従五位下前能州大守という地位であり、鎌倉幕府の重臣でしたが、その後、海蔵寺の再興に尽力しました。
建長8年12月9日(1257年1月2日)に亡くなり、道智禅師と言われるようになり、その位牌がこの寺に現存しています。
この碑の解説で1256年12月9日に亡くなったと説明しているところがありますが、これは大きな間違いです。旧暦で書かれているため、西暦にすると1257年1月になります。
右側に写っているのが「藤原仲能之墓碑」で中央付近に写っている鳥居は葛原岡神社の鳥居です。
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