荏柄天神碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
荏柄天神社の一の鳥居と重なり合う松の木との間に木々で少し見えにくくなっていますが、建てられています。
荏柄天神社の由緒に関することが記されています。
荏柄天神碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:えがらてんじんひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂76-11
- 建立:1929年(昭和4年)
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
荏柄天神碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から、徒歩約20分(約1.6km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌20・大塔宮 行き」に乗車、「天神前」下車・徒歩2分
- 鶴岡八幡宮(東側の鳥居)から、徒歩約9分(約700メートル)
駐車場が無いため、公共交通機関で訪れることをおすすめします。近隣には有料駐車場はありますが、土日を中心にほぼ満車です。
もしくは鎌倉宮近くの「鎌倉市観光協会鎌倉宮横駐車場」(徒歩約5分)を利用することをおすすめします。
荏柄天神碑の写真と碑文と意味
倭名鈔當郡ニ荏草ト記セル郷名アリ
今其名ヲ失スレドモ當社附近ノ舊称ナリシガ如シ
草ニかやノ古訓アレバ 江がらハ江がやノ転訛ナルヲ後文字ヲサヘ今ノ如ク改メシモノカ
社前ノ松並木ヲ古来馬場ト稱ス
本社ハ元中央ニ菅公束帯ノ坐像右方ニ天拜山祈誓ノ立像左方ニ本地佛十一面観音ノ像ヲ安置セシモ勸請ノ年代ヲ傳ヘズ
頼朝公初メテ大蔵ノ地ニ幕府ヲ設ケシ時當社ヲ以テ鬼門ノ鎮神トナス
爾来歴代将軍ノ尊奉セシ所天文年間北條氏康社前ニ關ヲ置キ關銭ヲ取リテ社料ニ共セシメシ事アリ
徳川氏ノ世ニハ鶴岡八幡宮造營ノ節毎ニ其ノ餘材残木ヲ受ケテ本社修造ニ抵ツルヲ例トセシト云フ
「和名類聚抄」(当時の辞書的なもの)に「荏草」という地名が記されています。現在は、その地名はありませんが、この神社付近の古い地名のようです。
草の字は「カヤ」と昔は読めたので「エカラ」が「エガラ」になって、後に今の文字(荏柄)に当てたようです。
神社の前の松並木は昔、馬場と言いました。
本社(本殿)の中央には菅原道真公の坐像、右側には天拜山祈誓の立像、左側には本地仏十一面観音の像を安置してありますが、勧請の年代は伝わっていません。
頼朝公が初めて大蔵の地に幕府を設けた時、当社を鬼門の鎮守としました。
以来、歴代の将軍も尊奉(とうとび、つかえること)しました。
天文年間(1532年~1555年)には北条氏康が社前に関所を置き、関銭を取って神社の修繕費用にしました。
徳川氏の時代(江戸時代)には鶴岡八幡宮の工事があるたびに余った木材を使用して社殿の修造を行うのが通例となっていたそうです。
関所だった場所にも「関取場跡」として碑が置かれています。
現在の荏柄天神社の入口は上記写真のように松の木が2本絡み合って門のようになっており、その奥に鳥居(二の鳥居)がありますが、上記写真の左側の松のすぐ後ろに碑が置かれています。
碑の前には近隣の観光スポット・史跡の案内板が置かれているため、気づかずに通り過ぎてしまうこともありそうです。
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