大慈寺跡碑は、昭和初期に鎌倉町青年団によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
金沢街道の明石橋付近から少し奥に入ったところに建っています。
大慈寺は、源実朝が建立したと言われるお寺ですが、建立はわかっているもののいつ廃寺となったのかわかっていません。
大慈寺跡碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:だいじじあとひ
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0001 神奈川県鎌倉市十二所66
- 建立:1928年(昭和3年)3月
- TEL:-
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
大慈寺跡碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24」系統に乗車、「十二所」下車・徒歩約2分
駐車場が無く、道も細いためバスで向かうことをおすすめします。
大慈寺跡碑の写真と碑文と意味
大慈寺ハ建暦二年
源實朝ノ創建ニカゝリ新御堂ト號ス
建保二年七月二十七日
大供養ヲ行ハレ
尼御臺政子及ヒ将軍實朝大ニ儀衛ヲ張リ之ニ臨メリ
後正嘉元年
征夷大将軍宗尊親王ノ時
本堂丈六堂新阿彌陀堂釋迦堂三重ノ塔鐘樓等
悉ク修理ヲ加ヘラレ荘厳ノ美殆ンド古跡ニ軼キタリト
東鑑ニ見ヘタリ
當時ノ盛觀以テ想フヘシ
爾來星霜七百年
布金ノ地マタ一片ノ礎石ヲモ止メズ
桑滄ノ変嘆ズベキ哉
管理人訳
大慈寺は建暦2年(1212年)、源実朝が創建した寺で、新御堂(しんみどう)とも言いました。
建保2年(1214年)7月27日、大規模な供養が行われ、源頼朝の妻で尼になった政子と将軍源実朝が、格式を高くもって参列しました。
その後の正嘉元年(1257年)に、将軍宗尊親王の時代、本堂・丈六堂・新阿弥陀堂・釈迦堂・三重の塔・鐘楼などことごとく修理が行われ、その荘厳さは、創建当時以上だったと、吾妻鑑に書かれています。
当時の盛観さが思い浮かばれます。
その後700年(実際には800年近く)過ぎた現在、ひとかけらの礎石(基礎)も見つけられません。
世の中の移り変わりが激しいことには驚かされます。
大慈寺は建暦2年(1212年)、源実朝が創建した寺で、新御堂(しんみどう)とも言いました。
建保2年(1214年)7月27日、大規模な供養が行われ、源頼朝の妻で尼になった政子と将軍源実朝が、格式を高くもって参列しました。
その後の正嘉元年(1257年)に、将軍宗尊親王の時代、本堂・丈六堂・新阿弥陀堂・釈迦堂・三重の塔・鐘楼などことごとく修理が行われ、その荘厳さは、創建当時以上だったと、吾妻鑑に書かれています。
当時の盛観さが思い浮かばれます。
その後700年(実際には800年近く)過ぎた現在、ひとかけらの礎石(基礎)も見つけられません。
世の中の移り変わりが激しいことには驚かされます。
源実朝が建立した寺院ということで、かなり立派なものであることは想像出来ますが、何も残っていない、いつ廃絶したのかもわかっていないということは、歴史好きな人なら、逆に興味を持つかもしれませんね。
鎌倉三十三観音霊場巡りを順番通りにされている場合、第7番札所の光触寺から第8番札所の明王院へ行く途中にあります。
なお大慈寺には仏舎利(お釈迦様の歯牙)があったと言われ、その仏舎利は円覚寺の舎利殿で祀られています。
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