足利公方邸舊蹟(足利公方邸旧蹟)碑は、大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。
浄明寺の金沢街道から少しだけ住宅街に入ったところにひっそりとあります。
足利義兼からここに居住されていたとされています。
足利公方邸舊蹟碑 詳細とアクセス方法
- 読み方:あしかがくぼうていきゅうせき
- 文化財区分:なし(旧跡碑)
- 住所:〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺4-2-25
- 建立:1920年(大正9年)3月
- TEL:なし
- 見学可能時間:24時間
- 見学料:無料
- 定休日:なし
- 駐車場:なし
足利公方邸旧蹟碑へのアクセス方法・行き方
- 鎌倉駅から徒歩約40分(約2.7km)
- 鎌倉駅から京急バス「鎌23・24・36」系統に乗車、「泉水橋」下車・徒歩約1分
細い住宅街の道の一般住宅の庭にあるため、車で行くと迷惑なので、公共交通機関で向かうことをおすすめします。
足利公方邸旧蹟碑の写真と碑文と意味
頼朝開府ノ初足利義兼居ヲ此ノ地ニトシテ以来二百数十年間子孫相嗣イデ此ニ住ス尊氏覇ヲ握リテ京都ニ遷ルノ後其ノ子義詮二代将軍トナリテ京都ノ邸ヲ嗣ギ義詮ノ弟基氏関東管領トナリテ兵馬ノ権ヲ此ノ邸ニ執ル而シテ之ヲ子孫ニ伝フ子孫京都ニ比擬シテ公方ト僭称ス享徳四年公方成氏執事上杉憲忠トノ不和ノ事ヨリ下総古河ニ遷ルニ及ビテ遂ニ永ク廃虚トナル
管理人訳
源頼朝が幕府を開いた時、足利義兼がこの地に住居をすることにしました。
以来200数十年間、子孫がこの地に住みました。
足利尊氏が権力を握って京都に移ったあと、その子である義詮が2代目将軍となり京都の家を継ぎます。
義詮の弟の基氏が関東管領(役職名)となって、軍の指揮権をこの邸宅から執りました。
こういして(足利家は)子孫に引き継がれました。子孫は京都にならって、公方と名乗るようになります。
1455年(享徳四年)に公方成氏(なりうじ)は、上杉憲忠(のりただ)と仲違いをして、下総(茨城)の古河(こが)に移ったために、ついに足利公方邸は廃墟となりました。
鎌倉幕府時代から室町幕府時代中頃まで住んでいたということですね。
上記写真のように住宅街の中にあります。
足利公方邸旧蹟碑 付近の観光スポット
- 浄明寺
- 報国寺
- 明王院
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